高校1年生の娘には、ここ最近悩みがある。
「お母さん、三平方の定理を覚えてる?」
突然の娘の質問に、出てきた言葉が何とも情けない。
「えーっと・・・記憶にございません」
溜息をつく娘。
「三平方を覚えてなくても普通に生活できるんだよね」
あ~、そうね。
確かに三平方を覚えていないことで困る事はないです。
「じゃ、なんで勉強ってしなくちゃいけないの?」
おおお、とうとう来たか。
学生時代に多くの人がぶち当たる壁に、今まさに娘はぶち当たっていた。
どうやら学校で文系に進むか理系に進むかを選択する時期になり
「将来何がやりたいかを考えて文系か理系を決めなさい」
と言われたが、まだ何がしかいかが分からない娘にとって、その選択が苦痛になったようだ。
で、そうこう考えているうちに「なぜ勉強をしなくてはいけないのか?」までに悩みが波及したらしい。
ならば逆に「将来進むべき道を考えて進路を決めなさい」という大人たちに聞いてみるといい。
「高校1年生の時の夢は何でしたか?」と。
おそらく多くの大人が答えられないと思う。
その時期からしっかりと自分の将来が見えている人もいるだろうが、多くの人は漠然としているのではないだろうか。
私もそうであったように。
小さな頃から人と関わることが大の苦手だった隊長は、自分には天職だと思える研究職に就いた。
ただ黙々とフラスコを振っている事が楽しかったと言う。
一方、商売屋で生まれ育った私は人と関わる仕事の方が性に合った。
国内だけでは飽き足らず、様々な文化を持つ人たちを知りたいと海外にも飛び出した。
まったく正反対の隊長と私だが、今では互いに真逆の仕事をしている。
もちろんそれは自らの選択である。
所詮『将来何がやりたいか』は変化するし、それでいいと思う。
むしろそれが自然だろう。
十分大人になった人たちでも、未だにどうしたいのか、どうやって今後を過ごすのか等をガチガチに決めている人は少ない。
しかも大手企業の買収、世界経済をもマヒさせる感染症、急速な少子高齢化など、今や何が起きるか分からない。
『将来何がやりたいか』などと悠長な事を言っているうちは幸せなのかもしれない。
それでもやっぱり、子どもたちには夢を持っていて欲しい。
『将来何がやりたいか』よりも『どんな生き方をしたいか』という夢を。
娘には、いい大学に行って、大きい企業に就職して、安定した職業の人と結婚して…などと微塵も思っていない。
では娘の将来に何を望んでいるか。
娘には、素敵な生き方をしている人に出会い、その人から人生を学んでほしいと思っている。
輝かしいステイタスの持ち主ではなく、キラキラした生き方をしている人たち、である。
では、そんな素敵な生き方をしている人に出会うにはどうしたらいいのか。
それは目の前の事を一所懸命にやること、ではないだろうか。
『何をしたいか』が分からなければ、今目の前にあることを、すべきことを一所懸命にやる。
ひたすらやる。
ただ、やる。
掃除でもいい。
料理でもいい。
勉強でもいい。
部活でもいい。
バイトでもいい。
そうしているうちに、いつしか自分に合った生き方が必ず見つかる。
隊長がアドベンチャーレースに出会い、一所懸命に打ち込んでいる間、私は未経験だった経理、資料作成、ウェブを始めた。
チームのため、隊長のため、やるしかなかった。
何もかもが初めてで、たくさん失敗した。
できないなりに一所懸命にやった。
そうしている間に、素敵な人たちとの出会いがあった。
つまずく度に助けてもくれた。
隊長と共に生きる選択をしていなければ出会わなかった人たち。
会社名や役職などの変化する衣を纏った人たちではなく、しっかりと地に根を張った生き方をしている人たち。
私は一介の主婦(時々パートタイマー)であり、人様に自慢できるような社会的ステイタスはない。
それでも尊敬できる素敵な人たちと出会い、夢を語り合い、何かを一緒に創り出すことを誇りに思っている。
さて、一介の主婦の私が16歳の娘に言えるとするならば
『将来何をやりたいか』は、今決めなくてもいい。
ただ今は、目の前にある事を一所懸命にやればいい、という事。
それが勉強なら勉強を
部活なら部活を
友達が悩んでいたら一緒に悩むことを
友達が喜びを分かち合いたいなら一緒に喜ぶことを
ひたすら一所懸命にやればいい。
そうしているうちにきっと、進むべき道が自然とできあがる。
そしてそれこそが、あなたが本当に歩む道なのだと母は思っている。