ここのところ林業と測量に凝り始めた隊長。

「アドベンチャーレースはもういいの?」

「何がブレないだ。興味散漫でブレブレじゃないか」

等々のご質問(?)をいただいている。

 

なるほど、確かに一見そう思えなくもない。

が、実は本人の中では一本に繋がっている。

 

 

隊長がアドベンチャーレースを始めて30年近くになる。

当時、日本ではまだ山でのアウトドアスポーツが盛んになる前。


「プロになる」と言っても実業団があるわけでもない。

そもそもアドベンチャーレースなんて誰も知らない。

 

トレーニングするにしても、その場所や道具も種類が少なく、ネットもまだなかったため、情報もノウハウも入手困難な時代だった。

 

自転車やランの練習は個人でもできるが、リバースキルの向上にはそれ相応の道具が必要となる。

 

そんな時にカッパクラブの元社長の小橋研二さん(2013年逝去)に出会い、二人でラフティングを練習するために、みなかみ町に通い詰めるうちに熱が入り、やがて移り住むことになった。

 

ニュージーランドから来たリバーガイドに指導を受け、のちにカッパクラブを設立。

ラフティングツアーのガイドをすることで、トレーニング兼収入の道を確保した。

 

以降、アドベンチャーレースをやりたいと言う若者はカッパクラブに集結し、寮に住み込み、リバースキルを磨きながら、ガイドとして働いた。

 

あれから月日は流れたが、そのスタイルは3代目社長の佐藤さん(通称すっすー)が受け継いで、小橋さんの時代と変わらないままでイーストウインドを応援してくれている。

 

 

 

アドベンチャーレースがテレビなどで放送され始め、イーストウインドがマスコミで取り上げられると、トレーニング生の問い合わせが増えた。

 

しかし、その多くは生活費を心配する。

当然である。

安定した収入から突然無職になり、ラフティングなんてやったこともないアクティビティのガイドにならなければ収入の道はない。

家族が突然そんな事を言い出したら、誰だって戸惑う(おそらく私は例外だろうけど)。

 

カッパクラブも冬期はスノーアクティビティに変わる。
そうなるとリバーガイドの通年雇用は難しくなる。

 

収入を得ながらトレーニングできる環境をどう作るか。

これは以前からの隊長の大きな課題であった。

 

そこで色々と検討した結果、通年仕事があり、山(藪)に入り、地図を読み、自然環境への対応スキルと体力向上につながる山林測量が最適だと考えた。

 

相談に乗ってくれたのは、オリエンテーリング時代の仲間で現在、つくば市で測量会社を経営するかなめ測量の社長、『ハワイとの距離を1ミリの精度で測る男』だった。

 

長年にわたり、隊長の活動を応援してくれている一人である。
 

(山林測量については以前のブログを御参照ください)
No Border No Life

 

 

50歳を過ぎての新たな挑戦ではあるが、それも若者がより良い環境でトレーニングできるよう、整えていくことが目的である。

 

体力も落ちていく。

地図も見辛くなってきた。

 

キャプテンを退いたものの、それでもなおイチメンバーとして出場しながら、メンバーにアドベンチャーレースの戦い方、真髄、そしてそこから学ぶべき『対・自然』『対・人』『対・自分』を教え続けている。

 

そしてここに来てようやく、ずっと前からの課題であった「チームのトレーニング環境を作ること」に着手できた。

 

アドベンチャーレースで世界一になるために、その環境を作る。

 

これがアドベンチャーレースに対するイーストウインド初代主将・田中正人の集大成だ。

 

 

「アドベンチャーレースはもういいの?」

「何がブレないだ。興味散漫でブレブレじゃないか」

等々のご質問をありがとうございます。

 

このやり方が正しいかどうかは分かりませんが、それでも田中正人は、田中正人なりに、田中正人のやり方で、アドベンチャーレースに人生を賭け、アドベンチャーレースに生きています。

 

なにひとつ、ブレてはおりません。

 

そして、そんな田中正人を、私はこれからも全力で支えていこうと思っています。