先日、TJAR2022の報告会を開催した。

今年はスタート地点の富山県魚津市が報告会の舞台となった。

 

毎回TJARの報告会は何だか不思議に感じる。

 

つい数ヶ月前(スタート時)に魚津で会った選手たちは、微妙にぎこちなく、張り詰めた空気があり、中にはこちらに緊張が伝わってくる選手もいる。

 

しかし報告会では、みんなとても穏やかなで、なごやかで、聞く側としても居心地がいい。

数カ月前と相反する雰囲気は何から来るのだろう。

 

 

 

TJARはスタートラインに立つまでが長い道のりとなる。

越えるべき壁がいくつもある。

ここに立つまで10年かかった人もいる。

 

そして長くて短い一週間の夢の舞台を降り、様々な想いを抱えて帰路につく。

久しぶりに報告会で会ったライバルたちは、同じフィールドで二度とない時間を共に過ごした仲間だ。

 

報告会では、スタート時には見られなかった顔が見られる。

それぞれが夫であり、パパであり、息子であり、恋人であり、社会人であり、サラリーマンである。

 

みんな普通の人。

ただ人より多く努力した人たちなのだ。

 

普段のトレーニング方法について、ある選手がこう言った。

「TJARに出場するために必ず毎日走りました。

どんなに仕事が遅くなっても、家に帰ってランの支度をして走り出す。

時には日をまたぐ事もありました」

 

こうした日々の努力が夢の舞台に誘った。

 

「人生は短い」とよく言われる。

しかし最近、私は「人生って案外長いんじゃない?」とも思っている。

 

TJARに出場した選手で50代以上は7人。

この中のある選手が言った。

「次の準備を始めなくちゃいけない」

夢の舞台はずっと続いている。

 

その話を聞いて、ふと渋沢栄一の名言を思い出す。

 

 四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧
 六十、七十は働き盛り
 九十になって迎えが来たら
 百まで待てと追い返せ

 

 

実行委員長が最後のあいさつで述べた。

「もっとこうした方がいいんじゃないか、こうすべきなのではないか、とよくご意見をいただく。

それでも私はこれでいいと思っています。

だから、我々はこのTJARを貫きます」

 

TJAR2022はこれで一区切り。

我々実行委員会は、この夢の舞台を保持していくために、2024に向けて間もなく始動する。