アドベンチャーレースでは電子機器の使用は禁じられている。

数百キロの道のりを地図とコンパスのみで進む。

 

そこが藪だらけの山林であれ、荒れ狂う大海原であれ、漆黒の闇夜であれ、頼るのは己の読図力のみ。

 

大会によってはGoogle Mapを印刷したような簡単な地図が渡されることもある。

また何十年前のだかわからないような古い地図であることも。

そんな地図は、山岳や海が驚くほど粗雑な表記となる。

 

その上、目印となる登山道などの情報が古かったり、実際は倒木などで塞がれていたり。

ナビゲーションは、街中マップのように簡単にはいかない。

当然ルートミスも起きる。

 

以前、レース中に来た道を12時間かけて戻ったことがある。
ルートチョイスを誤ったのだ。

 

何日間も身体を酷使してきたメンバーたちの疲労がピークに達していた時に起きた痛恨のミスはチームに深い亀裂をもたらした。

 

 

さて、『あやまち』には二種類の漢字がある。

 

【誤ち】進む方向を間違える。
ある目的地を目指していたが、進むべき方向を間違って目的地にたどり着けない場合に使うのが「誤ち」。

 

【過ち】行き過ぎて間違える。

ある目的地を目指していたが、目的地を通り過ぎてしまい道を間違った場合に使うのが「過ち」。

 

アドベンチャーレースにおけるナビゲーションのミスは

「通常は【誤ち】が多い」

と隊長は言う。

 

 

【誤ち】に早々に気が付いて引き返せばチーム間の亀裂も浅くて済むが、ミスをしたまま何時間も進み続ければ、ナビゲーターに対する不信感が徐々に募り、不満が出だし、やがてこれが【過ち】となる。

 

言うなれば【誤ち】を放置しておくと【過ち】になってしまうのだ。

 

 

人は誰でも【誤ち】をする。

 

もしすぐにその【誤ち】に気付き、反省し、修正をすれば、亀裂の縫合もわずかな時間で済む。

 

一方、【誤ち】をそのまま放置しておけば亀裂はどんどん大きくなる。

 

更に自分の選択が間違っている事にどこかで気付いても、不要なプライドのせいで言い出せず、なんとなく誤魔化している間にも亀裂はどんどん大きくなり、いつか身体の芯まで切り裂いてしまうほどの【過ち】となる。

 

 

自分の【誤ち】を認めるのはしんどい。

むしろ間違っていないと信じたい。

 

しかし、間違っていることが確実ならば、そこで【誤ち】を認めなければ、更にしんどくなる。

そして最大の痛手は、大切な人たちを巻き込むことだ。

 

 

【誤ち】をしてしまったら、素直に認め、反省し、二度と起こさないよう注意を払い、またそこから始めればいい。

 

たとえそれが【過ち】になったとしても、結局やることは同じ。
戻るしかない。
戻って、またその地点から始めるしかないのだ。

 

【過ち】は回復に時間がかかる。
しかし文字のごとく【過ち】は過去のことになる。


原因や責任を追究するよりも、自分自身で反省し、熟考し、その【過ち】で学んだことは何かをボロボロになった身体に叩き込みながら、戻るしかないのだ。

 

 

 

さて、チームに亀裂の入ったレースは、無事に完走を果たした。

あの時、【誤ち】をおかしたものの、12時間かけて戻り、再びそこからやり直した。
 

何がゴールに導いたのか。

「あの時、誰一人としてゴールをあきらめなかったからだよ。

 自分たちの目的がどこなのかを解っていたからね」

と隊長。

 

 

人は【あやまち】をおかす。

だが、目的はどこにあるのかを見誤らなければ、ひたすら向かえばいい。

何度でも失敗してもいい。
戻ってやり直せばいい。
間違った時間は無駄ではない。
失敗からは成長という賜物が与えられるのだから。

 

私たちに起きる出来事はたとえどれほど不快なことであったとしても、私たちが成長するために必要だから起きるんだ。 


私たちが目指す場所に到達するには、そこから学ばなければいけない。

 

リチャード・バック(作家)