2022年1月1日。

新しい年と共に、我チームイーストウインドも新たな門出を迎えた。
今年からチームキャプテンを田中陽希が引継ぎ、新体制として活動することとなった。

百名山、二百名山、三百名山と山数が増えて行く都度、陽希も大きく、強く、逞しくなってきたと思う。陽希率いるチームイーストウインドが楽しみである。

 

さて、アドベンチャーレースは出場するための雑務が思いのほか多い。

出場大会選出、メンバー探し、主催者とのやりとり(しかも英語)、スポンサー探し、協賛依頼、渡航手配、現地宿泊手配、装備手配、会計業務、そしてチーム全体と自身のトレーニング。

 

キャプテンという大役を終えたものの、一気に陽希にこれらの仕事を任せるのは酷ゆえ、隊長も私も少しずつ引き継ぎながら、もう少し現役を続けていく予定だ。

 

しかし、やがては前途ある若者たちにこの場を託す時がくる。むしろ、そうしなくてはチームが衰退してしまう。私たちが作り上げた物、事、人間関係すべてを若者たちに託すまでが私たちの責務である。

 

ふと思う。
すべてを引き継いだ後、私は何をしようか。

 

隊長と結婚する時、自分が働いて家族を養っていけばいいと思っていた。

結婚当時は近所の子どもに英語を教えたり、温泉旅館でアルバイトをしていたが、

「一緒にイーストウインドを作り上げたい」

という隊長の言葉を受け、イーストウインドプロダクションを立ち上げた。

 

まずはチームメンバーが仕事兼トレーニングできるアクティビティを考える。そこで当時フランスで開催されたアドベンチャーレースの種目にあったハイドロスピードに目を付け、カッパCLUBの故小橋さんにお願いして事業化させてもらった。体力を使うハイドロスピードはアドベンチャーレーサーのトレーニング兼ガイド業務に合致している。

 

まずは専用のウエットスーツを購入し、カッパの一画にウェット干し場を隊長自らが増設し、当時アドベンチャーレーサーだった佐藤よっちゃん(現在はカメラマン)、ヤクちゃん(現在はSUP会社社長)にもガイドになってもらい、私はカメラマン兼ランチを担当。これがイーストウインドプロダクションの最初の仕事となった。

 

立ち上げの時、小橋夫妻が新潟にある豪華な料亭で祝賀会をやってくれた。まだみなかみ町に馴染めてなかった私にとって、家族からの激励のようで、本当にうれしかった。

 

そこからはガムシャラに突き進んだ。一所懸命に目の前の事をやってきた。すべてが手探りで、幾度か失敗も重ねた。イーストウインドに情熱を燃やし、すべてを注いだ。時に喜び、時に泣いた。生活すべてがイーストウインドだった。

そして、それはいつも隊長と一緒だった。

 

だからなのか、私自身、チーム業務を引き継いだ後は何をしていいのか分からない。

不安でもないし、寂しいわけでもない。ただ、やりたい事がないのだ。

 

ゆえに今後はゆっくりと時間をかけ、やりたい事を見つけようと思う。

まずは興味をそそる事に片端から手を出してみようかな(経済的範囲に限り、だけど)。

ピアノや二胡もやってみたい。もう一度バックパッカー旅したい。畑仕事もやりたい。

そう思うと、なんだかワクワクしてくる。

人生は選択できるのだ。

 

これまでの人生、成り行き的にイーストウインドにかかわってきた様だが、すべては私自身が選択したこと。正直、この選択が正解だったかはわからないし、おおいに反省点はある。しかし、まったくもって後悔はない。

 

アドベンチャーレースと出会って24年。ここまで必死に隊長についてきた。これからは自分の道も少しずつ開拓していこうと思う。

 

もちろん隊長には、これからもずっと隣で一緒に笑ったり泣いたりしてもらう。

 


(あの頃の田中家)