皆様 ご機嫌いかがですか?
エッセンシャルライター
川居永佳です
今日は心の苦しい度について
書きます
苦しい度50%のモヤモヤゾーンから
子どもの障害により
苦しい90%超えを経験した私
今の苦しい度は20%で
心がラクになった
って記事を「苦しい心がラクになったぁ」で書いたわけだけど
苦しい度20%ってどうなのよ?
と思った方
きっといますよね
苦しい度0%にならなきゃ
苦しい心はラクにならない
んじゃないか????
昔の私はそう思ってました
苦しい度50%のときは
「苦しいと感じるのは
私が人間として未熟なせいなんだ
自分のイライラや不機嫌を
外に出さないでいられるくらい
心の広いおおらかな人になりたい
私がそんな人になったら
私も私の周りの人も幸せなんじゃないか?」
って思ってました
苦しい度90%超えのときは
「障害が不幸だと思ったら
子どもが不幸だということになる
でも私は子どもをかわいそうだと
思いたくない
障害を受け入れて
この子のすべてを受け入れられたら
この苦しみから逃れられる
のではないか
障害を受け入れなければ
でも
どうやって受け入れたらいいんだろう
早く受け入れてラクになりたい」
でもね
そんな私に救いの言葉を言ってくれる方が
現れたんですよ
その言葉は・・・
「障害を受け入れてもいいし
障害を受け入れなくてもいい」
この言葉を聞いて
ああ、そうかぁ
障害を受け入れられないって
思ってもいいんだ
って救われた気になったんです
その当時の私は
「以前より子どもの言動を受け入れられる
ようになったぞ、よし」
と思う日もあれば
「ああ、ダメだぁ
イライラが止められない
他の子と比べて落ち込んでしまう
やっぱり私は
障害を受け入れられていないんだぁ」
と落ち込む日もあり
まだまだだぁ!
どうしたら障害を受け入れることが
出来るんだろう?と
「100%
子どもの障害を受け入れられる私」
になろうとしてました
でも、そんなこと無理
それは不自然
お天気の日もあれば
曇りや雨の日もあるように
光があれば影が必ず
ついてくるように
ネガティブなものは不可避
ネガティブなものがあるのは当然
でも、その当時の私は
ネガティブは良くないもの
いつでもポジティブな自分でいなければ
と思いこんでいたんですよね
でも、
「障害を受け入れてもいいし
障害を受け入れられなくてもいい」
という言葉が心にスーッと入ってきたとき
自分が
「0か100か」
の完璧主義に陥っていることに
気づいたんです
受け入れられる日があっても
受け入れられない日があってもいい
受入れ度70%の日があっても
受入れ度10%の日があってもいい
毎日色んな事が起こるから
いつもいつも100%受け入れることなんて
出来ない
でも、それでいいんだって気づいたとき
私の心はラクになった
これはきっと障害の受け入れというほど
重いものでなくても
色々なことに当てはまると思うのですよね
ということで
私が苦しい度20%でOKと思えてるのは
ネガティブは不可避だから
自分のネガティブを許してあげると
自分に優しくなれる
=自分の心がラクになる
からなのです
同じように苦しい心を抱えている人が
少しでも心がラクになってくれたら
嬉しいです
今日もみなさま
ご機嫌な一日でありますように