和装に携わる職人達の姿が垣間見えます。
「蔭桔梗」
泡坂妻夫著 創元推理文庫
(292頁)
意外にエンタメ要素は低めでございました。
ただ、それを楽しめるようになった自分がちょっと嬉しくもあります
コチラは、すべて作品が1980年代後半に書かれた短編集となって降りまして―。
その中の「蔭桔梗」が、1990年に直木賞を受賞というわけでございます。
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それでね、新保博久先生の解説で、初めて知ったのですが―
まだこの頃は、『ミステリーでは直木賞を取れない』と言われていたそうなんです。
何でも「トリックを主軸にした推理小説では、きちんと人間が描けない」とかなんとか言われていたそうです
ちなみに受賞作「蔭桔梗」も、男女の機微に職人の手仕事を絡めた味わ深い作品となっております。
‥‥‥ただ正直な所、実は私の中で、レビューを書く程には、消化しきれていない感じなんです。
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収録作には、和服に関わる職人さん達が多く登場しておりまして、その部分だけでも興味深い作品でした。
ちなみに最初のお話「増山雁金(ますやまかりがね)」にはこんな記述がございました。
いつの間にか、午前中は上絵師の仕事、午後は絵筆を鉛筆に持ち換えて、原稿用紙に向かう習慣ができて、十年近くになるが、一日中同じ仕事を続けることがないので、両方の仕事がそれぞれに気分転換効果を生じるようになり、はなはだ工合(ぐあい)がよろしい。
続くのは、「あまり売れっ子の作家になってはいけない」とか「だから、ごくマニア向けのミステリーを書く」なんて文章なんです。
もしかして、このお話の主人公は厚川昌男(アツカワマサオ)さんかしら? と思ってしまいました
泡坂妻夫先生は、代々続く《紋章上絵師》という家系にお生まれになりました。そのペンネーム《アワサカツマオ》は本名のアナグラム(=並べ替え)なのでございます。
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こんな感じで―、
本書には呉服関係の職人が沢山登場いたします。そして、各々が時代を嘆く姿も描かれています。
コチラは《むさし屋》という仕立屋さんが舞台となっている「絹針」の中から―。
園部が先生と言っているのは、元、むさし屋に住み込みで仕事を覚えた村上という男だ。今は世田谷で五十人以上の弟子を使い、丸伊勢に出入りする職先のうちで1番多く仕事をこなしている。今、使いに来ている子もそのお針子だが、その呼び方はもう通用しない。親方と弟子ではなく、先生と助手(アシスタント)の関係になっていて、店名も「村上ソーイングスクール」だ。
主人公の昭介(ショウスケ)は、どんな仕事でも手広くやっていた父とは違い、仕事を選ぶ職人気質―。
彼からすれば、職人ではなく"経営者”だった父―。
方々から集めた弟子に、自らが取ってきた仕事をさせていたいました。
そんな父を昭介は嫌悪していました。
『親父とは違います。私は職人ですから、人買いみたいな真似はしないのです』
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そして、以下の二つは《生駒屋》という(「増山雁金」とは別の)紋章上絵師が主人公の「蔭桔梗」から―。
まずは、主人公・章次(ショウジ)が入れた家紋が間違っていたという件(くだり)―。
見ると、留袖には鶴菱(つるびし)が綺麗に入っている。鶴の丸を菱にした紋で、滅多にみない紋だから章次はよく覚えている。一週間ほど前に納めた品だった。
「これが違うんですか」
と、章次が訊いた。
「そう。本当は蔓(つる)花菱だったわ」
「伝票は鶴菱でしたよ」
コレは、章次が若い頃の挿話でございまして―、
納品先の若手社員・賢子(タカコ)はまだまだ経験が浅く、章次は紛らわしい家紋の名前や由来なんかを彼女にレクチャーするんです。
そして、もう一つは紋章上絵師の仕事の様子を少しだけ―。
「若旦那、相変わらず親切だね。だったら、背返(せがえ)しをするしかないでしょう」
紋のある後身頃(うしろみごろ)を前(まえ)見頃に張り替えて、紋の部分を襟(えり)の中に入れてしまう。そして、背紋を改めて抜染(ばっせん)してから紋を描き入れる。
―まぁ、私も細部は判らないのですが、こういうのは雰囲気で読みます
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最後に呉服悉皆(ごふくしっかい)という聞き慣れない業態が舞台の「色揚げ」から―、
この"呉服悉皆”というのは、問屋・染屋・呉服店を仲介し販売以外のメンテナンスなんかを行うのだそうです(ネット調べ)。
色揚げをするには、紋の白い部分に糊を伏せ、全体を染め上げた後、糊を取り去るのである。ところが、糊の加減が悪かったのか、色揚げの経験が浅かったのか、紺屋から仕上がってきた紋を見ると、紋の白場に黒の染料が食い込み、色揚げする前の紋とは比べものにならぬ汚い紋に変わっていた。
この"色揚げ”というのは、古い布を再び染め直す作業のようです。
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他にも、着物の糸をほどいて洗う"洗い張り”なんて作業も紹介されておりまして、とっても勉強になりました。
本書は―、
そんな職人のお話と絡む男女の心模様が、実に秀逸な作品集となっております。