久々に‥‥‥本当に久々に穏やかな週末を過ごせました。
何事も滞りがないという幸せを噛みしめております
気が付けば―、
手を入れているお庭も一気にエリアが広くなり、どこから手をつけて良いのかわからなくなっております。
左側の"開かずの温室”の前の部分と―
修繕した橋の奥のエリア。
(頭の中に、色々プランはあるんですけど、まだ準備が整いません)
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さてさて―、
先週は2回にわたりまして「孤鷹の天」の上下巻をご紹介いたしました。
重厚な内容でしたがきちんとエンタメしておりまして―、
特にレビューでは一切触れなかったエンディングは圧巻でございました
そして、もう一つ全く触れなかった部分がございます。
それが、この時代のキーマンの一人で、天皇位を狙っていたもされている―、
弓削道鏡(ユゲノドウキョウ)でございます。
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「孤鷹の天」にもきちんと登場しているのですが、レビューの際は全スルー致しました
孝謙上皇(→称徳天皇)の寵愛を受け、僧侶でありながら太政大臣、そして法王なんてトンデモな地位に登りつめた道教―。
きっかけは―
母である光明皇太后の死から気鬱となり体調を崩した孝謙上皇を、彼が看病した事でございます。
この時の"祈祷とお慰め”が、孝謙上皇のハートを鷲づかみにした、てな具合
と言うのも孝謙上皇は女性で、この頃40代でございました。
私が学生の頃は「道教が孝謙上皇をたぶらかした」的なイメージが主流だったのかもしれません。
(実際、高校の授業でもそんなニュアンスでした)
プライベートな事なので、実の所は当人達しかわからない訳ですが―、
こういう"禁断の関係”という類(たぐい)のヤツは、いつの時代も俗世間の大好物ですよね
何と言っても、前天皇の女性と僧侶の組み合わせですからね
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私も長らく、道教については『野心家で、何より"エロ坊主”』的なイメージでした。
ただ、澤田瞳子先生の筆による道教は、それとはだいぶ違いました。
端的に言いますと―。
孝謙上皇に気に入られのは良かったけれど、急激な出世に戸惑っているイエスマンといった感じ
"過度な寵愛に有頂天にならないだけの知恵を備えていた”的な書かれ方もされています。
ザックリ調べてみたのですが、昨今では道教=悪僧というイメージは疑問視されているようです。
自分達を正当化するために、その前の政権をこき下ろすのはいつの時代でもよくあることでして―。
つまり孝謙上皇(称徳天皇)について"あんな生臭坊主を重用したおバカさん”という形にしたかったのかもしれません。
実際「孤鷹の天」でも、孝謙上皇はあまり良く書かれていません。
道教自身は相次ぐ高位授与に、ますます不安げ面持ちになっていく。それにもかかわらず、次々と彼とその親族を取り立てていくさまは、稼ぎのない恋人に貢ぎ続ける年増女と、さほど変わりがなかった。
(「孤鷹の天 下」より)
以前にレビュー致しました「与楽の飯」でも、孝謙上皇の父・聖武天皇が結構ボロクソに書かれています。
著者である澤田瞳子先生は、元々奈良時代の研究者―。
識者の間では、この父娘について"ろくでもなかった”という認識なのかもしれません。
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時の権力者の気まぐれで意図せずに成り上がってしまった道教―。
孝謙上皇(称徳天皇)の死後、あっという間に失脚してしまいます。
さらに明治以降には、"日本三大悪人”なんて言われたりして、ちょっと不憫にも思えてきました