あの滝沢馬琴の息子に嫁いだら‥‥‥
「曲亭の嫁」
西條奈加著 角川文庫
(308頁)
‥‥‥いやぁ、とんでもない家なんですよ
昔のお話ですから、とうぜんゴリゴリの家父長制―。
ですが、その家長である滝沢馬琴という男がとにかく面倒臭いんです。
かの《南総里見八犬伝》の著者で、世間的にはとんでもないビッグネーム
しかし、その人品はとーっても小さい
武家や家長してのプライドが過剰で、とにかくメンツが大事なんです。
しかも―、
"公”の部分で周囲に押しつける"清廉潔白”と"私”としての無茶苦茶な行為が、彼の中では矛盾しないのです。
(婿の飲酒癖を断罪しつつも、息子や孫の為なら平気で賄賂も送ります)。
人見知りで融通が利かず、為に茨の道を突き進むことも厭(いと)わない馬琴―。
それが本人だけなら良いのですが、家族も当然巻き込まれていきます
そんな彼の妻のお百(オヒャク)も大概で―、
感情の起伏が激しく、何かというとすぐに"切れ”ます
そして、本作の主人公・お路(オミチ)の夫・宗伯(ソウハク)は―、
そんな2人のハイブリッド
‥‥‥こんな家族、端から見るだけなら最高に面白すぎます
(正直、馬琴の言動はちょっと引くレベルですけど)
物語はお路が「もう、やってられないわよ!」と家を飛び出してきた場面から始まります。
※※※※
お医者さん一家である土岐村家に生まれたお路は、ミーハーな父のツテで同じく医師で、かの滝沢馬琴の息子である宗伯と結婚します。
最初はお路自身も、ちょっと浮かれていたんです。
しかし―
「お舅(とう)さま、お姑(かあ)さま、旦那さま、短い間でしたがお世話になりました。私、実家に帰らせていただきます」
これまで口応えしたことなと一度もない。華には書ける顔立ちだけに、黙ってさえれいば、落ち着いて慎み深い嫁に見えるはずだ。
舅姑(きゅうこ)と夫が、あんぐりと口を開けるさまを思い返し、ふっと笑いがこみ上げた。笑ったことなど、この家にきて初めてだ。いや、すでに打ち捨ててきたのだから、あの家だ。
こんな感じで家を飛び出してきたお路―。
キッカケは、いつもの宗伯の癇癪でした。
些細なことで逆上し手が着けられなくなる夫とは、つまるとこと喧嘩にもなりません。切れるスピードが速すぎて、お路が何か言う隙がないんです。その場に馬琴が居れば、大柄な彼が羽交い締めにします。
(なお、どんな理不尽な切れ方であっても、宗伯は叱られません)
お百に溺愛され過保護に育った宗伯は、生まれつき病弱です。
藩医の仕事もままならず、そんな自分と偉大な父とを比べすっかりねじ曲がっています。
(なお、父親譲りなのか外面は良い模様‥‥‥)
滝沢家の中はとにかく馬琴が絶対です。その彼が宗伯の事を是とし母親のお百も何かと擁護しますから、必然的に悪者は他の人間になります。
ただ、つまるところ何でもかんでも「お路が悪い」というわけでもなく、さらに弱い立場の女中さんにも矛先が向いたりします。ですので―、
一応監督する立場であるお路が閉口してしまうくらいに、女中が辞めていきます
なお、この度の家出騒動は―、
兄夫婦の所へ身を寄せていたお路の所へ宗伯が来て頭を下げ、一応決着します。
ただ、宗伯がやって来たのは、たまたま馬琴が病に倒れ「自分と母だけでは面倒をみるのが困難」だから―。
つまる所、「馬琴の看病の為に戻ってきて欲しい」という事なんです。
そこでお路は『あなたとお舅さんのそういうところが嫌いです』とブチ切れます。
滝沢家に入って4ヶ月間の溜め込んできた思いの丈がほとばしります。
「女をあまりに軽んじている。妻も女中も、いいえお姑さんでさえ、あなた方は見くびっている。そういうところ、本気で腹立たしい。いったいどこが劣っているというの? 医者ではないから? 戯作者ではないから? それとも出自が町人だから?」
それでも、自分のお腹に命を宿している事がわかっているお路は、何とか矛を収め滝沢家に戻るのです。ただし『今後は文句があればはっきりと口にします』と言い添えて―。
―なお、安心したらしい宗伯は帰る道すがら「いいか、まずは父上に、ようくお詫びをするのだぞ」なんて言ってますか、つける薬がありません
※※※※
こんな感じではじまるお路の半生の物語―。
とにかく面倒くさい夫と"災厄の塊”のような馬琴―。
そんな家族に振り回されつつも、束の間(記述としてはたぶん1頁くらいです)の幸せも訪れます。
宗伯が夭折した後、長年の無理が祟ったのか、馬琴が失明してしまいます。
なんとしても《八犬伝》だけは書き終えたい馬琴から、口述筆記するよう命ぜられるお路―。
馬琴は、出版社が紹介した職人ですら信用がおけなかったんです。
そして、それはそのままお路にたいする信頼の裏返し―。
ただ、そうは言ってもワガママ三昧の馬琴にボロクソに言われ続けるお路には大変な苦行でした