我が県が誇ります中山義秀文学賞を、最年少で受賞した作品でございます。
「孤鷹の天 上」
澤田瞳子著 徳間文庫
(470頁)
優れた歴史時代小説に送られる中山義秀文学賞。
著者である澤田瞳子先生は近年、西條奈加先生と共に同賞の選考委員も務められております
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それで―、
時代小説と言えば、大半の方は江戸時代を思い浮かべるのでしょうね。
他には源平、もしくは幕末~明治維新というのも人気ですね。
今年の大河ドラマは平安時代ですが、本作の舞台はさらに遡りまして奈良時代でございます。
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時は西暦760年―。
遣唐使・藤原清河(フジワラノキヨカワ)の娘・広子(ヒロコ)に使える高向斐麻呂(タカムクノイマロ)は、大学寮へ入る決意をします。
この時代、貴族の子弟であれば基本、自動的に位を貰い任官する事が出来ました。
しかし、それだけではろくでもない官僚ばかりになってしまいます。
その為、広く優秀な人材を得るべく創設されたのがこの大学寮―。
つまり学業が優秀であれば、身分に関わらず官僚へ道が開けていたのです。
―ここで時代背景をザックリご説明致しますと―、
藤原氏が、長らくライバルであった橘氏を追い落とし全権を握っておりました。
しかし、その藤原氏も四家(北家・南家・式家・京家)があり、広子の父・清河が属する北家は政権の主流から外れておりました。
南家のトップである藤原仲麻呂(フジワラナカマロ)は、若い頃から頭角を現わし、光明皇太后の寵愛を受け要職を歴任しておりました。
特にこの頃は、血縁である大炊王(オオイオウ)が即位し(淳仁天皇)、自らは太師(太政大臣)の位につき、さらに恵美押勝(エミノオシカツ)という名前まで賜っておりました。
しかし光明皇太后が没すると、しだいにその娘である阿部上皇(孝謙上皇)との関係が微妙になってきます。
儒教を重んじる恵美押勝は、それを指導の根幹とする大学寮の擁護者であるのですが―太政大臣が"太師”という唐風の呼称になっているとおり―ちょっと"大陸(唐)かぶれ”なんです。
対する阿部上皇は、鎮護国家の名の下に仏教を強力に推進した聖武天皇の娘です。
儒学と仏法の間で、国家の有り様が揺れに揺れていたのです。
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斐麻呂の望みは官位を得て、通詞(通訳)か何かになって遣唐使に加わる事―。
いまだ帰国の叶わない広子の父・清河を迎えに行こうと考えていたのです。
―この広子と斐麻呂の主従は、それぞれ14歳と12歳です。一途に主を思う斐麻呂の気持ちが、後に別なモノへと変わっていくのかと思っていたのですが、その筋はありませんでした
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寂しさからかヘソを曲げてしまった(12歳ですからね)広子を残し、入寮した斐麻呂―。
彼はそこで生涯の友と出会います。
同室になった李光庭(リノミツニワ)は、算術に秀でており、本人もその道(経済官僚)を目指しています。
そして上級生ながらも、何かと斐麻呂を気にかけてくれた桑原雄寄(クワハラノオヨリ)と佐伯上信(サエキノウワシナ)の2人は、学内きっての問題児
―地方出身の雄寄は、その面倒臭い性格と非常に明晰な頭脳のせいで教師達が手を焼く存在。上信の方は本当に落ちこぼれなのですが、この頃の男子に学業と同じく大事とされていた弓の名手でした。
さらに貴族出身で、斐麻呂を妙に気に入った甘南備清野(カンナビノキヨノ)といういけ好かない先輩や、長屋王の末裔であり、超絶プレイボーイの磯部王(イソベオウ)なんて軽薄な輩(やから)も登場します。
―生徒思いの教師の巨瀬嶋村(コセノシマムラ)なんてのもおりますから、奈良時代の学園モノといった趣すらございます。
しかして、この物語にはもう一つの学び舎が存在いたします。
それは、斐麻呂の知り合い赤土(アカツチ)と学業不振の上信の為に、コッソリ開講された"雄寄を師とする教室”なんです。
この赤土という青年は、紀寺(きのでら)というお寺の奴緋(奴隷)でして、本来牛馬のごとく扱われる人外の存在です。
「本当は一般人なのだ」と主張する赤土は、その境遇から抜け出す為に儒学を―それこそ文字から―習うのです。
当然ながら、大学寮内に他所の奴緋を入れる事自体、退学に直結しかねない違反です。
しかし斐麻呂達は、儒学の"徳を持って世を治める”という教えに矛盾する奴緋というの存在を思い、赤土と共に学ぶ道を選びます。
―この時だけが、この面々にとって幸せな時間でございました
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その後、赤土が学内で見つかってしまい、清野の取り巻き達にボコボコにされます。急ぎかけつけた斐麻呂と光庭ですが、当然ながら自分達の関係は明かせません。
ただ、泣きながら暴行を止めるよう懇願する事しかできませんでした。
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斐麻呂に暗い視線を投げ赤土は姿を消します。
その後朝廷では―、
恵美押勝が阿部上皇排除を企てるも、敢えなく敗死します。
必然、大学寮への風当たりも強くなり‥‥‥。
(下巻に続きます)