時代を経ても面白さは不変でございます。

 

「地下街の雨」

宮部みゆき著 集英社文庫

(308頁)

 

 

 ※※※※

 

  麻子(アサコ)はその日、駅の地下街で恋人である淳史(アツシ)と待ち合わせをしていました。

 

 いつもの場所で彼を待っていると、ふと同じ様な人待ち顔の男性に目が止まりました。正確にはその胸元のネクタイに―。

 

 その赤い椿柄のネクタイは確か一点物で、麻子がもう目にする事がないはずの物。

 

 そこへ、人並みをかきわけながら綺麗な女性がやって来ました。

 

(そんな!? でも間違いない、"あの女”だ)

 

 麻子は、引き寄せられるようにその二人に近付いていきました。彼女に気づいた"あの女”が口を開きます。

「‥‥‥三浦さん!?」

 

 ※※

 

 麻子がこの女性に出会ったのは1年半程前―。

 

 当時、麻子は地下街のあまりパッとしない喫茶店でアルバイトをしていました。

 母親はきちんと就職して欲しいふうでしたが、麻子はウェイトレスを選びました。

 

「以前は大手企業にいらしたのですね。どうしてお辞めになったのですか?」

 

 人事担当者から、こう尋ねられるのが麻子は嫌だったのです。

 

『社内恋愛だった恋人から、式の2週間前に婚約を破棄されたんです』

 

 こんな重たい答えを聞かされる相手も気の毒というものです真顔

 だからといって当時の麻子『新しい可能性を試してみたくて―』なんて言うのも無理ゲッソリ

 

 理不尽な理由で一方的に別れを切り出した元婚約者・伊東充(イトウミツル)は言いました。

「今なら、まだ傷は深くない」

 

 深くないどころか麻子のメンタルは瀕死でございますチーン

 

 

 

 幽霊のように、ただただウエイトレスの仕事をこなしていたある日の午後―、

 

 その女性―つまり"あの女”は現れました。

 

 麻子よりたぶん年上で、容姿も立ち居振る舞いもずっと美しいその女性―。

 

 ひょんな事から、言葉を交わすようになった二人は、自分達が共に"裏切られた側”である事を知りました。

 

「私、社長秘書をしていたんです」

『えっ、でもどうして?』

「だって兼愛人だったの。だから、そっちが終われば仕事も‥‥‥」

 

 社長「妻と別れて君と結婚する」と言っていたらしいのですが、それは嘘ニヒヒ

 

 

 

 それから、就職活動のついでに"あの女”麻子のいる喫茶店にやって来るようになりました。

 ただ、結果が思わしくないのか、日を追うごとにその表情や仕草が荒(すさ)んでいきます。

 窓の外を見ながら、彼女はふと言いました。

 

「あら雨なのね」

 

 ここは地下街にある店ですから、雨は落ちてはきません。ただ通り過ぎて行く人達の手には濡れた傘がありました。

 

「地上に出て、雨が降っていると裏切られた気持ちになるわ」

 

 その時、窓の外にいた人物と目があった麻子―。

 こちらを見て明らかに相好を崩したのは、見知った顔でした。

(充の同期で確か‥‥‥石川さん)

 

 同じ会社と言っても、部署が違った麻子は挨拶を交わした事くらいしかありません。

(充が「でかい図体して気が弱いヤツでさ」とか言ってた人―)

 

 寿退社後の破談という"事件”の当事者である麻子は、前の会社の誰とも会いたくありません。しかし、店に入ってきた男は爽やかな笑顔で言いました。

 

「三浦さん、こんな所で会えるなんて―」

 

 その笑顔を曲解したのか、目の前の"あの女”の表情が一瞬歪みます。

 そして「私、ミウラさんの友達の森井曜子(モリイヨウコ)です」と満面の笑みを向けたのです。

 

 聞けば石川も会社を辞めていました。

 

「今は、父親の仕事を手伝っているんだ」

 

 そう言って麻子に差し出された名刺を、もぎ取るように奪った森井曜子―。

 

「私も石川さんとお近づきになりたいわ」

 

 

 

 麻子は事実のまま、『石川はあくまで知り合いだ』と説明しました。

 

「それなら、私が貰ってもいいわよね。彼、素敵じゃない」

 

 

 

 それから少し経って店に姿を現わした曜子は―、

 

「彼にプレゼントを買いたいから、あなたも付き合って」

 

 聞けば、昨晩、石川と食事に行ったそうで―

 

「そのお返しをしたいの」

 

 前のめりな彼女の様子に不安をおぼえた麻子は、買い物の後石川へ電話をします。

 

『貴方が森井さんと付き合いたいならそれでいいけど‥‥‥実は、彼女ちょっと過去に問題が―』

「とんでもない、昨日は麻子さんも一緒だって言われたから―」

 

 ここから森井曜子の真実が明らかになります。

 

 彼女は社長の愛人ではありませんでした。

 思い込みの強い彼女は、自分の妄想に取り憑かれ、勝手に大騒動を起こしていました。

 突然の電話にも応対してくれた件(くだん)の社長は―

 

「彼女には関わらない事です。私だって危うく刺されそうに‥‥‥」

 

(!!)

 

 曜子石川が約束していた店に乗り込んだ麻子は、森井曜子と対峙します。

 

『ごめんなさい、私とこの人―淳史さんは"そういう仲”なの。だから、もうつきまとわないでください』

 

 

 

 そんな顛末から1年半―、

 淳史とは本当に"そういう仲”になり、そして―

 目の前に"あの女”がいる。

 

 あの時、捨て台詞を吐いた横顔とは違う、柔らかな表情をして―。

 そしてあの時、淳史の為に買ったネクタイが今は‥‥‥。

 

(表題作『地下街の雨』)

 

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 このお話、ちょっと"出来過ぎ”なんですけど、伏線回収がそれ以上に"出来過ぎ”なんですウインク