「与楽の飯」のレビュー‥‥‥例によって、一回では書き切れませんでした真顔

(一応、1000~2099字くらいを目安に設定しています)

 

 そんな訳で今回も"はみ出し記事”を書きます。

 

 ※※

 

 とにかく、私に刺さったのは、聖武天皇が結構ボロクソに書かれている点ですニヒヒ

 

 私が数十年前に授業で習った時の聖武天皇は―

 

 仏教を厚く信仰し、全国に国分寺や国分尼寺を建てる。

 そして、その総本山(総国分寺)として、東大寺とその本尊たる盧舎那仏(大仏)を建立―。

 

 なんかとっても徳のある感じはしますが、

 

 私は、そういうのが大嫌いなんです真顔

 それぞれ信仰は自由で良いと思うんです。

 ただ、私は、狂信、盲信、妄信といった類が苦手なんです。

 何事も、度が過ぎると無理が生じます。

 

 まして宗教ともなると当然、その対象が"神様”ですからねぇ‥‥‥。

 

 噂では御年四十七歳の天皇はひどい仏教好きで、広嗣(ひろつぐ)の乱も相次ぐ天候不順も、全て御仏の加護がなかったゆえと信じきっているとか。巨大な仏像を造り、国中の民ををの霊威に与(あずか)らせんとの志は結構だが、実際に銅を熔(と)かし、山を削って堂舎を造らされる側からすれば、まった迷惑この上ない大願である。

 

 これは近江から労役者として徴発された主人公・真盾(マタテ)が、東大寺造営の現場に配属された折の内心でございます。

 

 実際、為政者としての聖武天皇は、かなり駄目な部類だと思うんですよね。

 

 この大仏建立もそうですが、その前にも彼は3度も遷都を行っているんです。

 

 遷都って、ザックリ言うなら首都機能の移転ですからね、それを5年間で3回も行っているんです(平城京に戻ったのを加えれば4回です)。

 

 当然ながら各地で都の造営をしなければなりませんし、このお引っ越しに各お役所も従うわけですから、とんでもない浪費です。

 実際、彼の治世で財政はかなり傾いたようです。

 

 まぁ、宗教の力で人心を掌握するのは悪い手はありません。

 為政者であるならば、表向きは手を合わせて、裏では舌を出しているくらいが丁度良いのだと思います(その方が清々しく思えます)。

 

 しかし、聖武天皇の場合、すがっている感じがするんです。本作中でも"妄信”という単語が出てまいります。

 

 実際、この大仏建立は実は2度目のチャレンジでして―、

 1回目の時は、反対派による放火が絶えなかったそうでございます。

 つまり、民衆の支持もさほど無かったんですよ。

 

 そりゃそうです―、

 

 莫大な費用をかけて、人民に労役を強い、あげく造るのが大きな金ピカの仏像なんです。

 

 同じお金をかけるなら、各地に橋を架けたり、農業用のため池を造ったりした方が絶対、世の中の為になります。

 

 しかし聖武天皇は、自分が傾倒する仏教の"鎮護国家思想”を取ったのです。

 

 民衆に対し、現世の苦難はうっちゃったまま、来世の幸せを説いたのです。

 日々の暮らしにはなんら機能しない大仏を象徴として真顔

 

 その大仏が後世においては―、

 

 確かに観光資源として大いに力を発揮したのですから、この時代の人達がなんだか可哀想です。

 勿論、お話の中には、御仏を篤く信仰している労役者も登場します。しかし、病床にあるその男は既に身内を亡くし、自身も大仏の完成を見ることはなく‥‥‥。

 ※

 今回、最後にご紹介しますのは、この大仏の設計者である国公麻呂(クニノキミマロ)の言葉です。

 

「狂うてなぞおらぬ。己の造ったものに執着するのは、工人なれば当然のことよ。それを申さば、まことに世を救うかどうかも知れぬ大仏のために、何百人何千人もの役民を全国からかき集めた帝のほうが、よっぽど常軌を逸しておられるのではないか」