本屋大賞受賞作「舟を編む」
いやぁ、あまりにも面白かったので、一回では書き切れませんんでした
ですので、今回はちょっぴりその"はみ出し”を―。
※
この作品は、《大渡海》という新しい辞書の編纂がテーマなのですが―
幼い頃から、当たり前のように手元にあった辞書について、私は知らない事だらけでした。
特に唸らされたのが"紙”のお話―。
紙の書籍にはその厚さにおいて、物理的な限界があります。
小説においてその極限に位置している京極夏彦先生の作品は、時に"鈍器”と呼ばれていますね
しかし、辞書にはそれこそ"鈍器”以上の頁数が要求されます。その為、薄さから何から使用される紙がどんどん進化してきたというのです。
言われてみれば、あんなに極薄なのに裏の字があまり透けませんし、割と一枚ずつめくれます(作中では"ぬめり感”と言われています)。
それらの技術は、辞書だけにとどまらず多種多様な分野へ応用されていくのだそうです。
作中で、一度ダメ出しされた製紙メーカーが、試作を重ね完成サンプルを持ってくる件(くだり)がありまして―。
編集者がその出来映えに感動し、その場にいた全員が歓喜に沸く場面があります。
もう、ほとんど《プロジェクトX》ですよ
※
最近は(紙ではない)電子辞書なんてモノもありますから、全てこの限りではないのだとは思います。
それに、デジタルな辞書であれば、本作のようにその項目の文字数に苦心惨憺(くしんさんたん)するような事も無くなっていくのかもしれません。
ただ、個人的な印象になりますが―、
今のところ、電子辞書はこれまでの紙の辞書の内容を、そのまま取り込んだモノのような気がしております。
音声や画像といった方面には進化しているようですが、まだ"ならでは”の方向に伸びしろがある気もいたします。
まぁ―、
こと文章においては、脈々と受け継がれてきた説明や用例が、ある種の完成形と言えるのかもしれません。
その文章が簡潔で要領を得たモノであれば、いくらスペースがあっても何か付け足すのは、それこそ蛇足というモノでしょう。
※
「いや、そもそもネットがあるから電子辞書だって要らない!」
そう仰る方もいることでしょう。
確かにそんな時代でございます。
でも、私は公(おおやけ)に"辞書”として出されているモノの方に、より信を置いています。
そこはやっぱり"プロが作っている”という点が大きいんです。
勿論、各種ネットでも、お詳しい方やなんならその分野の専門家が書かれているモノが大半でしょう。
しかし辞書に限らず公に出版されているモノは、プロの書いた原稿を、校正や編集といった"別なのプロ”がさらに精査しているんです。
いくら書いてある内容が正しくても、誤解を与えるような表現が用いられていたら本末転倒ですからね
※※※※
長い時間をかけ、文字通り"艱難辛苦”の果てに、《大渡海》は完成します。
「辞書は、言葉の海を渡るたる舟だ」
《大渡海》という名前の由来であるこの言葉が出て来るのは、物語の最初の方です。
そして《大渡海》が完成し迎えるエンディング―。
辞書編纂者にとって"完成”は、新たなスタートでもあります。
生きている人間が使う以上、言葉もまた生きています。
時代を経れば、新しい説明や用例が必要になってくるのです。
元の意味で使われなくなったり、用法が大きく変容してしまったり‥‥‥。
それらについて日々情報を集め、改訂していく作業が延々続いていくのです。
《大渡海》は、今まさに船出を迎えた所なんです。