舞台は、善人ばかりが暮らすと評判のとある長屋―。

 

「善人長屋」

西條奈加著 新潮文庫

(372頁)

 

 9編からなる連作短編集でございます。

 ※

 質屋“千鳥屋”の義右衛門(ギエモン)が差配(管理人)を務める長屋―。名前はその屋号と“質”をもじって“千七長屋”と言います。

 

 しかし、いつしかこの長屋には別な二つ名(異名)が付きました。それが―

 

 “善人長屋”

 

 この物語の主人公、義右衛門の娘・お縫(オヌイ)は、この名前が腹立たしくてなりません。

 

 善人ばかりが住んでいると評判なのですが、その実は―

 

 全員が裏稼業を持っている“悪人長屋”―。

 

 それら悪事の裏返しで、みんな外面がすこぶる良いんです。

 

 ―初っ端のこの件(くだり)から、もうニヤニヤが止まりませんニヤニヤ

  私は、てっきり人情物だと思ってましたからね。

 

 お縫の父・義右衛門は、質屋の看板の裏で盗品の売買をしています。彼の片腕である髪結いの半蔵は情報屋、唐吉文吉の兄弟は美人局(つつもたせ)です。他に文書偽造に掏摸・泥棒、名うての詐欺師夫婦だっています。

 

 少し前まで”鍛冶屋”の源平という爺さんが居たのですが、引退し郷里へ帰りました。その空き部屋に、さる“お頭”からの紹介で、錠前破りがやって来る事になったんです。

 

 17歳のお縫は、長屋のみんなが嫌いではありませんんが、いつか“芋づる引いて”全員がお縄になりはしないかと気に病んでいます。その為、みんなの裏稼業について、父親やその父より上手の母・お俊(オシュン)に、いつも喰ってかかります。

 

 3人の子を生み育てたとは思えない母・お俊(40代)は妖艶でしたたかな女性です。

 母親から、それらの素質を受け継がなかったお縫は、とにかく周り全てを反面教師にして、真っ直ぐに育ちました。

 

 ―このお縫のジレンマが見どころの一つなんです。物語は、長屋に持ち込まれるやっかい事を、それぞれの“専門家”が解決していくノワール小説(犯罪小説)の趣もあります。

 やってる事は紛れもなく悪事なのですが、それがさらに大きな悪を駆逐するんです。

 ※

 お縫には、ある特技があります。それはひと目見て、その人物の善悪を見分けられるんです。

 ある時、長屋の差配でもある千鳥屋へ、旅装の男がやって来ます。見るからに、人の良さそうな男で、男は『赤坂から来た加助』と名乗りました。

 

『実は、この長屋に空きがあると伺ったんですが―』

 

 お縫加助を見て、「ああ、この人は真っ当な人だ」と直感します。ところが―

 

『自分は錠前職人をしておりやして―』

 

「‥‥‥‥」

 

 つまり目の前の男は、さる“お頭”から紹介された“錠前破り”―。

 ションボリしなが父親の元へ連れていくお縫いなのでしたニヒヒ

 

 ―この時代、錠前破りは金額の多少にかかわらず捕まれば死罪なんです。しかし、加助はとてもそんな極悪人には見えません。自身の眼力に信を置いていたお縫は、正直ガッカリなんです。

 

 唐吉と文吉の“美人局兄弟”が活躍する第一話の後、加助の正体が判明します。

 

 実は、さる“お頭”から紹介された錠前破りは、道中で捕まってしまいまして―。

 

 加助は、正真正銘の堅気(かたぎ)の錠前職人でした(笑)。

 

 つまり、お縫の早とちりが発端で“善人長屋”に本物の善人・加助を入れてしまったんです。長屋のみんなは、流石に心配するのですが、お縫だけは内心ガッツポーズですウインク

 

 加助は、それこそ観音様の生まれ変わりのような“度を超えた善人”―。

 行き倒れや、捨て子等、とにかく困っている人がいれば放って置けない男です。

 第二話以降は―

 

『差配(義右衛門)さん、聞いてくださいよ―』

 

 てな具合で、加助が次々やっかい事を持ち込ぬパターンになります。

 

 お陰で、“善人長屋”の評判はうなぎ登り(笑)。

 

 ※※※※

 

 とにかく、人情物もあれば犯罪小説もあり、ちょっぴりドロドロもしていて‥‥‥。

 

 エンターテインメントの波状攻撃です(笑)。

 

 個人的には、さる事情で江戸へ戻ってきた源平爺さんが最後の“仕事”をする『源平蛍』がとても好きです。

 表の稼業も裏の稼業も“カジヤ”である彼は、いわば裏社会のレジェンド―。

 

 悪人を懲らしめる為、“善人長屋”の面々がスクラムを組む様は、まさに『必○仕事人』です。

 

 ※

 

 ―“善人長屋”の面々は人を殺める事はしない、あくまでも“小悪党”です。

 “蛇の道は蛇”の言葉通りに、その道のプロが活躍する勧善(悪?)懲悪の物語です。

 

 長屋のみんなは、善人・加助の持ち込むやっかい事を煙たがっていますが、彼を憎めないのも事実―。

 

 物語のクライマックスでは、その加助の過去に焦点が当たります。