怒りとは。 | フランスで日本語育児!あらカンパーニュ。

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フランスの田舎町に住む日本語教師・すー。
フランス人夫と2013年生まれの息子、2017年生まれの娘との4人暮らし。
プロの日本語教師によるバイリンガル育児と日々のつれづれの記録です。

最近、人間関係のメンドクサさに疲れています・・・

 

 

私自身のではなく、

とある組織内に関わっていて感じることです。

 

 

詳細は書けませんが、

Aさんが、数年前に起こったBさんのミスを許せなくて、

いまだにBさんに怒り、謝罪を求めているという事案・・・

 

この話に関わっていて、つくづく、

私にとっては「正義」という価値観が大事なんだなーと感じています。

 

みんな、初めは怒りをぶつけ続けられるBさんが不憫で何とかしようとするんだけど、

話の通じないAさんへの対応がめんどくさくて、Bさんを不当に処分し続けている

という、私からすると許すまじき事態に陥っていて…

 

 

Bさんは、確かにミスをした。

けれど、ちゃんとその場でもその後も謝罪したし、それ以上どうしろと…?

Aさんが自分の感情に折り合いをつける以外、解決の糸口が見えません…

(だけど、Aさんの話をしっかり聞いて解決してもらうには、

 こちらの消耗が酷すぎるオエーので、私もそこまでは関われておらず…)

 

 

 

怒りをはじめ、ネガティブな感情のパワーって、

自分で永遠に油を注ぎ続けられるんですよね。

 

怒りが怒りを呼ぶ。

不安が不安を呼ぶ。

悲しみが悲しみを呼ぶ。

 

解決するには、自分でその感情の根っこに向き合うしかない。

向き合えないなら、プロの力を借りて、さっさと手放したほうがいい。

 

 

 

 

特に、怒りというものは「2次的な感情」だそうで、

その大元となった感情と向き合わないと、解決が難しいようです。

 

 

 

そんなわけで、執拗に怒り狂うAさんのことを考えながら、

昨日の体操教室での自分の怒りに向き合ってみました凝視

 

 

私の昨日の「怒り」の根源にあるのは、

「コーチ陣の不誠実さへの不満」であり、

「社会の理不尽さに向き合わされた娘への同情」であり、

「娘のために闘いきれない自分への不甲斐なさ」であり…

 

 

 あ、そうだ。一番は、娘への申し訳なさだ。

 

 

これがフランス人の親だったら、もっと言葉巧みに、強引に、

再テストを受けさせられたんじゃないか?

中途半端に娘を傷つけただけになってしまったのではないか?

 

母親である自分が外国人であること、

フランス語が100%不自由しないレベルではないことへの劣等感。

 

そういう部分が、今回の「怒り」につながっているように思いました悲しい

 

 

その割に、「もう行きたくない」「他の習い事をしたい」と言い出した娘に、

もう1年分のレッスン代は払ってしまったから、

やっぱり今年はとりあえず通ってほしいと思ってしまうし泣き笑い

勝手に共感して、感情移入しておきながら、ひどい親だなぁ、と我ながら思う・・・アセアセ

 

 

ぐるぐる、もやもや、とまだ黒い感情が渦巻いている土曜の夜。