自分が変わるのは、負け? ~2つの変容をめぐって~ | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

色々話をしていて、面白いなあと感じてることがあります。

それは、「自分が変わる」=「負け」=「損」という感覚についてです。

普段から、目の前の出来事を通じて、自分が変わっていく

という話をしているのですけれど、

そこで、時折、このような反応に出会います。

 

相手は変わらないのに、

自分だけが変わらなくてはいけないなんて不公平だ。

ずるい。相手も、変わるべきだ。

 

僕は、自分が変化する=ひとつ自分が成長する=自由&幸せに近づく

という発想でしか見ていなかったので、

なるほど・・・と思いました。

同じく、相手を許す、認める、受け入れる

というのも、敗北や屈服を意味することもあるようなのです。

 

つまり、「自分が変わる」というのが、

自分が折れる、自分が我慢する、自分が譲る・・・

というイメージで意識されている。

 

何が、そうさせているのかな?

どうして、そう感じてしまうのかな?

と考えますと原因は「変わる対象」についての意識の違い

だということが見えてきました。

 

「自分が変わる」というのは、主体意識が変容するということです。

我慢するとか譲るという行為を行っている本人そのものが変容し、

それまでの自分、その体験をする前の自分とは、別人になる

というプロセスです。

 

けれど、この自分が変わるという感覚を、

「意見を変える」と捉えていると、確かに、なかなか辛いものがあります。

それは「自分を変えないまま、意見を変える」ということだから。

つまり、自分の本心<相手の都合

という図式になりますので、確かに、敗北ですよね。

自分は、我慢するのだから、相手だって我慢すべきだってわけ。

 

繰り返しになりますが「自分が変わる」という体験は、

「意見の変化」ではなく、「世界観の変化」です。

世界観が変わるとは、今、見ている世界が別のモノとして見える

ということです。

 

それまで価値がないと思ってたものが、大切なものに、

今まで大切だと思ってたものが、取るに足らないことに、

怖いと思ってたものが、ワクワクの対象に、変わる。

生きることの意味、出会うことの意味、死ぬことの意味が、変わる。

つまり、より自由でハッピーな世界線にシフトする、
パラレルワールドにシフトする体験ということです。

 

そのために、信念の変容が不可欠です。

意見ではなく、信念が変わる。

これは、ものすごく大切。

 

例えば

「自分勝手なあの人が、許せない」というシチュエーション。

意見を変えるというのは、

「自分勝手なあの人を、頑張って許そう」という試みです。

 

 自分勝手だけれど、あの人だって、悪気があるわけじゃないんだ。

 自分が少し寛容になれば、問題はないんだ。

 だから、自分が大人になろう、自分が許せる人間になろう。

 

この試みは、100%破綻します 笑

なんの苦行やってんの~ 無理無理~ です。

必ず

 

 私は、こんなに我慢しているのに!

 ムキ―!! 怒 怒 怒

 

となります。

 

違うのです。信念・世界観を変えるというのは

「自分勝手」ってなんだっけ?
ということです。

自分勝手とラベリングする自分そのものがいなくなるので、

許すも、許さないもない。

自由気ままで素敵だな~ 面白いなー くらいなものです。

自分の人生から、「自分勝手」という言葉がなくなる。

自由気ままで素敵なあの人、自由気ままで生きる自分。

愉しいね♪ 以上。

 

そして本当に、自分勝手という感覚を忘れてしまいます。

なんだっけそれ・・・という感じです。

自分勝手が存在する世界線 → 存在しない世界線へとシフトしています。

それまで問題に見えていたものが、まったく問題ではなくなる。

だから、許すことも、認めることも、受け入れることも不要です。

 

この2つのプロセスには、大きな差がありますよね。

自分を変えるということに苦しさを覚えている人は、

この2つの変容のプロセスを混同している可能性が高いと思います。

だから、許せないし、変われないんです。

 

さて、では自分を変容させていくために、どうすればよいのか?

とっても簡単です。

人生に起きるすべての出来事が、変容の契機です。

すべての出来事は、自分の持っている信念、

自分の持っているラベリングのコピーです。

故に、そこにネガティブなモノを感じたのなら、

即座に、自分の内側、自分の信念にアプローチしていきます。

 

ネガティブな体験がやってきたら、ガッツポーズです。

 

ルール違反している人がいて、ムッとした。

自分の中に、「ルールを守ることは正しい」という信念がありますよね。

これを解除していきます。

なるほど、自分はそれにこだわってたのか・・・

それがわかると、もう信念が変わり始めています。

 

自分が、いかに、正義の側でありたかったのか、

正しい存在でありたかったのか、がわかってきます。

そして、なぜそうありたかったのか?も見えてくるでしょう。

正しく良い子である必要があった理由、

それによって、何を獲得したかったのか・・・

もちろん、それは、愛ですよね。

 

ルールを守る正しい子を演じることによって、

誰かの「愛(だとその時に理解していたもの)」を得たかった。

それは、誰?

・・・例えば、こんな風に自分と対話していきます。

ね、とてもシンプル。

語りかけ、問いかけるのなら、自分は必ず答えてくれます。

 

今日は変容のプロセスについて、少し整理してみました。

何か参考になることがあれば幸いです。

それでは皆さん、素敵な1日を。