再掲:拝啓、妹尾留衣さま(FBでのやりとり) | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

面白かったので、消えないように、こちらにも。

 

<妹尾留衣さんからの質問> 

 

今度、対談をする予定の須藤峻くんに質問です!

最近、スピリチュアル女子がこぞって、

写真の中に光の玉を写そうという意図を垣間みてしまって…

なんとなく気になったんだよね(笑)

なんていうか、外側だなぁって。

 

例えば、私なんかは、UFOを見たり、

神秘的な体験をしたりするのですが、

そういう時は、神聖な気持ちで携帯を持とうっていう感覚にはならなくて、

写真を撮ったりはしない。

むしろ、その神々しい感覚を言葉にできずに、そっと心にしまってしまう…。

 

心から楽しいときもそう。

そんなときこそ、携帯はしまってしまうんだよね。

でも、最近は、楽しい時をどう楽しく見せるかというインスタのために、

旅行する女子もいるくらい、意識が外側に向きやすくなっているようにも想う。

 

今度新しく出版する本は「無限の愛」という本で、

まさにタントラの神髄を、

タントラ修行もほとんどしていない私が書いてしまっていて。

「外側」のない私がそんな本書いてしまったわけなんですよ。

 

見た目も中身も、常日頃、普通の主婦の私が

どうやったら皆さんにこれが真実だと分かってもらえるのかな?

と、不安になります。笑

 

もっと白いひげとか生えて仙人みたいになる!とか
いいね!の数を増やすとか
きらびやかな生活風の写真を載せる!とか
華麗な経歴を載せる!とか

ねえ。笑

龍の形をした雲を撮り続けている人々に、

スピリチュアルの本質的なことってどう伝えたらいいのかな?

それとも。

超現実的なサラリーマンに伝わる??

それも難しそうだよ。笑

やっぱり龍の形をした雲や神々しい写真を

いつも探しては載せていく必要があるかな??笑

 

なんて、そんなことも含めて、出版記念の講演会は是非一緒に対談しよう!

 

妹尾留衣

 

<回答>

 

拝啓 妹尾留衣 様
 

まず、スピリチュアルって何?って話から。
僕は、スピリチュアルっていうのは、
「世界は自分が作っているよね」というシンプルな考え方だと思ってる。

「塗り絵」をイメージするとわかりやすい。
塗り絵の本をめくると、白紙ではなくて、
最低限の「輪郭の線」は描かれてるよね。
この輪郭は、「集合意識レベルでの共通了解」と言っていい。ユングの元型のコンセプト的なね。
(ここは詳しく書くとさらに長くなるから、また話そう)
僕らは、この輪郭線をベースに、まったく自由に彩色していいわけだ。
パステルカラーで塗ってもいいし、黒で塗りつぶしてもいい。
自分が塗った通りに、僕らは、現実を体験する。
故に、絵=自分。言い換えれば、世界=自分、あなた=わたし 。

だから、その絵を見て、黒い!とか、明るい!とかって話は、
あくまで、色を塗った「自分」を知るためのプロセスとして意味があって、
絵そのものの論評には、あんまり価値はないわけだよね、楽しいけど。

さて、ようやく、本論に!

これは、なかなか壮大な問いだよ!
・超常現象(光の玉、龍の雲、オーラ、過去世、天使)
というものに、僕はほとんど興味がないのだけれど、
それらに惹かれる人たちがいるのは、知っている。

それは、スピリチュアルなシンボルや超常現象というのが、
「自分の教えられてきた、常識的な世界観」を壊すモノとして機能しているということだと思う。
つまり、超常現象=超常識現象、つまり、常識を超えた現象ね。

常識的な世界観=自分が暮らしてきた卵の中。なんだか味気なく、楽しくない、、、そんな卵の外側に、どうやら、何かがあるらしい!

>白いひげとか生えた仙人
とか、
>きらびやかな生活
とか
>華麗な経歴
とか
>タントラの修行

というような記号は、確かに、卵の外側感があるから、受け入れやすいよね。
普通じゃない感あるもんね。
逆に、「普通の主婦」ってなると、卵の外側感、超えてる感がないから、
いまいち、萌えないわけよね。

けれど、卵の外側に行きたいという夢は頓挫する。卵の外側は「ない」からさ。
いや、卵の外側はあるけれど、それは、想定しているようなモノじゃないってことかな。
(映画 マトリクス はその辺、完璧に描いているよね)

唯一、卵から自由になる方法というのは、
卵の中で自由になるしかないと、覚悟を決めること。
今、その瞬間、自分に与えられている環境で、自由になると決めること。
つまり、「自分がすべてを塗っているのだから、塗り方変えよう」
というすごくシンプルなことに、気が付くこと。

ここではないどこへ行っても、握りしめてる絵の具が同じなら
いつも、同じ風景が広がる。
それに気が付いて、異なる世界を描き出すのは、
今、その瞬間にできることであって、どこに行く必要もない。
ここではないどこか、ではなく、ここでやってね!ってこと。

けれど、その事実に気が付くのは、
ここではないどこかへの旅を、した後なのだと思う。
それを思う存分することなく、完全に諦めがつくまで探すことなく、
自宅の裏庭に埋まっている宝物の話は、たいして面白くないもんね。

さて、長くなったけれど、
「龍の形をした雲を撮り続けている人々」も「光の玉女子」も、
それがとっても楽しいのだから、ぜひやって頂きたい。
飽きたら、次は天使を探してほしい。
それも飽きたら、イルミナティの話をしてほしい。
次は世界は日本から始まった話をして欲しい。自分の宇宙の系譜を探すのも、忘れずに。
(バカにしてません、念の為)

そのあたりで、もぞもぞしてくる気がするけどな。

そして、そろそろ、みんな一周して、
あれ?こんなんだっけ?って顔を見合わせてる気もするよね。

そして、人を想うとか、愛するとか、自分を統合するとか、
あなたとわたしがいるのなら、そこにはじまり、そこに終わる
シンプルな地平、けれど、信じられないくらいの奇跡に満ちた場所に、

やってくるんじゃないか。

まだ旅に出ていないのなら、旅を勧め、
旅に出ているのなら、故郷のことを伝える。
それが、先遣隊に出来ることかもしれないな、なんて思いましたー!