ちょっと行き詰まっちゃたなーって時は、
今、自分が信じてることを、
ぽいっと捨ててしまうってことだよね。
社会常識みたいなものから、
スピリチュアルな信念も、ぜんぶね。
引き寄せ、ツインレイ、投影、チャクラ、過去生、人類のシフトに、
手放し、断捨離、占星術に、インナーチャイルドに、宇宙の”真理”。
自分の世界で”良い”とされてた生き方、
正しいなっと思ってきた教え、信じてきた価値観、
ぽいっとね。
そしたら軽くなるよ。
そしたら、ようやくスタート地点。
それらは、ぜんぶ”ファンタジー”だからね。
ファンタジーは、ある地点までは、連れて来てくれるけど、
手放す日が、来る。
そして、ぽいっと捨てると気付くんだ。
あれ?
人生に、自分の今日のあり方に、なんの変化もないし、
影響もないじゃんね?
いかなる信念も、それが、どれほどに真理に触れていようとね、
これまでの人生が、それを”正しい”と言おうともね
ぽいっとする日が来るんだな。
そんで、ただシンプルに、生きてみることだ。
丁寧に今日の1日と、隣にいる人たち、
自分の世界と、自分の時間を生きることだ。
すると、何もかもに 理由がなくなる。
理由をつけられなくなる。
説明も解釈も言い訳もできなくなる。
現象に意味などない。
旧いも新しいもない。
未熟も成熟も、遅れている人も進んでいる人も、
救う人も救われる人もない。
運命もなければ、導きもない。
ただ、毎日がそこにあって
それを等身大の自分が生きているだけ。
痛ければ痛がり、悲しければただ泣く。
嬉しければ笑う。
ワクワクしたり、ドキドキしたり。
それをいろんな言葉で”飾り付け”しなくていい。
あなたが泣くのは、浄化でもなんでもなく、ただ泣きたいからだ。
あなたが笑うのは、バイブレーションの上昇でもなんでもなく
ただ、可笑しいからだ、生きることが。
与えたものを受け取るかもしれないし、そうでないかもしれない
抑圧された感情があるかもしれないし、そうでないかもしれない
あなたは生まれる環境を選んだかもしれないし、そうでもないかもしれない
死んだら生まれ変わるかもしれないし、そうでないかもしれない
宇宙人は真理を語るかもしれないし、そうでないかもしれない
それは、どちらでも良いこと。
感謝を生きてもよいし、憎しみを生きてもいい。
何もかもが投影だと信じてもよいし、原因を誰かに求めてもいい。
瞑想をしようが、しまいが、どちらでもいい。
自分を愛そうが、どうしようが、それも自由だ。
それは、自分が生きることにおいて、どちらでも良いことだ。
あなたが、あなたを生きるために、必要であるのは
それらがどちらであっても、あなたの生を、あなたが生きることだ。
そうだな、何かを信じるかわりに、科学的であってみてもいい。
科学的であるとは、仮説を生きると言うことだ。
すべて(この現実の認識すら)が、仮説だと、
便宜的に作られた物語だと知っていて、なおかつ、それを使うってことだ。
それは、ひとつの謙虚さを生きるということ。
それは自分を開いておくということ。
オープンエンドであるということ。
そうしたら、またいつか、ここに戻ってくる。
その時、今、自分が見ている世界と、
まるっと違う世界で
同じ言葉を使ってる自分がいるよ。
最後にちゃぶ台返して悪いけど、
別に、そのままでもいいんだ。
今が楽しくて、ワクワクする間は、
余計なこと考えずに進んだらいいよね。
新しい出会い、新しい世界観、新しいアイデア、新しい意味、
そこに新鮮な驚きと、明日への希望があるのなら、
今日のあなたを輝かせるのなら、ただ、それを、学ぶことを楽しんで。
そして、なんか、立ち止まっちゃったら、
今、見ている世界を後にする時なのかもしれないね。
あなたの人生は、いつだってあなたのためにある。
あなたの旅が、温かなものでありますように。
心の旅の水先案内:すどうしゅん