このブログを読んでくれている、受験生・・・は0人だろうけれど、
その親御さんはいるかもね!そしたら、参考になると思うよ。
常々書きたいと思ってたから、書いてみよー
先日、高校生と話をしていて、「現代文」の話になったのよ。
現代文、苦手〜・・・特に、小説の主人公の気持ちなんてわからん〜 って話。
そうそう!「この時の主人公の気持ちを選択せよ」って問題とか
「作者の言いたいことを書け」とか、現代文で問われるじゃん。
そんで、そんなこと、本人しかわからんよ!ってこと、感じた人いません??
どう感じるかってのは、個人の自由であって、
それに点数つけるとか、正誤を決めるってのは、いかがなものか!
と鼻息荒くしちゃった人、いませんか??
実はね、それってトンチンカンな話だったりするんだよね〜
なぜ、そういうトンチンカン(ごめんね)な問いが出てきちゃうのかっていうとね、
多くの人が、「現代文は、何を勉強しているのか」ってところを、考えてないからだよ。
大学受験までの現代文・・・特に、小説問題が求めていることって、
簡単に言えばね、「運転免許の試験」と同じだよ。
「この標識は、何を意味してます?」・・・はいはい、駐禁ね!
これです。
これ以外、見たことないね。学校の先生が適当に作った問題とかは知らんけど。
(もちろん、先生の側が、現代文の意味を分かってないことも多いからね)
言葉ってのは、何かを伝えるための道具だよね。
だから「駐車禁止」という文字が並んでたら、
駐車はしてはいけないんだな・・・って、みんなが納得しなくてはならない。
だから「この表現(記号)」=「この意味」ってとこは、全国民共通で、理解しとこう!
ってのが、重要になるわけ。
現代文における小説問題は、この共通理解をちゃんと知ってる?
ってことを、テストしてるわけだ。
(・・・良問というのは、そういうもの。もちろん、世の中、悪問はある)
例えば、
はなのいろは うつりにけりな いたずらに
わがみよにふる ながめせしまに
という短歌を読んで、作者の心境を答えなさいと問われたとしよう。
ここで、もし、あなたが、「いたずらってのが、ピンときたから、愉快な気持ち!」と感じたら、
あなたは、感性がおかしい・・・のではなく、「知らない」ってことなんだ。
ただ、「標識」を読めなかったってこと。
標識・・・どこにある? それも、知ってる必要がある。
例えば、”はな”だ。
僕も、明確に知ってるわけではないけれど、
日本の文学、日本の文化圏、日本の言葉において、
「はな」と言えば、”さくら”。かつ、古文では、ほぼ「さくら」だと言っていい。
違っても”うめ”とかの季節もので、
それは、”花開く歓喜と、散りゆく切なさ”が同居している様が、込められることが多い。
ってのは、知識として持っているし、日本で育つと、こういう感覚を体得することが多いと思う。
だから、「花の色」が「色あせていく」という情景だけで、
寂しさや切なさを、読み解くことができる。
そういう選択肢を選べばいい。
もちろん、人によって、花=ひまわり=元気!な人もいるけれど
・・・ここ重要よ・・・この短歌の”はな”をひまわり で読んだとしたら、間違いなわけ。
それは「駐停車禁止」を「駐車禁止」と間違えたようなもの。
単純かつ明確に、議論の余地なく、「標識の理解を間違えた」ってことです。
それは、感性の問題じゃないよね。知識の話。
俺にとっては、これは駐車禁止であって、停車はオッケーって話をしても、無意味。
どんなに「解釈は個人の自由だ!」と言っても、切符切られるわけ。
そこは、自由じゃないから。
はな=ひまわり として、読んでも良いけれど、
それが、「自分なりの解釈」であることを、知っておけばいい。その感性は自分のもの、
それを大切にしていけばいい。
だけど、テストで問われているのは、「多くの国民の共有した知見」なんだ。
小説で問われているのは、表現や言葉についての、日本語に共通した言い回しや、
何を意味している記号なのかについての理解度・・・なので、テストできるし、点数化できる。
そして、それ以外の感性は、点数化できないから、問われてないって話。
この現代文の勉強は、勉強するしかないのよ。
単純な知識だから。感性で「運転免許の筆記試験」は解けない。
勉強どうやる?
「こういう気持ち」を「こういう言葉や表現や言い回し」で描くんだー
っていう、事例をストックしてくしかないよね。
小説でも、短歌でも、あ、J-popの歌詞とかもわかりやすいよね。
現代文って、一番大事なとこだと思うんだなー。
つまりね、あなたが自分の言葉で、誰かに何かを伝えたい時に、
どんな言葉を選択したら、あなたの中のイメージが相手に伝わるのか
それを、学んでるってことなんだから。
以上、昔から、友達を捕まえては、してきた話でした〜
ちゃんちゃん!