女性達への手紙 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

最近、男女という不思議な存在について、考えることが増えました。
母、祖母、叔母、友人達、恋人・・・
僕は、多くの女性達に支えられて、生きてきました。
なので、ふと、そんな女性達に向けて、文章を書いてみようと思ったのです。
・・・書いているうちに、普遍的な内容になってしまいましたけど、
当初の意図を残す冒頭部分も消さないことにしました。
それもきっと意味があると思うのです。

* * *

女性の皆さんへ

男である僕にとって、
あなた達は不思議そのものです。
いえ、正しくは、その不思議、その違いに、やっと気がつきました。

あなた達は、複雑で、繊細で、傷つきやすく、同時に、直感的で、
しなやかで、強い。
優しさ故に、あなた達は、瞳に涙を溜めて、でも前向きに生きようとする。

僕は、そんな生き方に敬意を持ちます。
しかし、あまりに大きな哀しみは、時にその美しさを奪ってしまう。

そんな時に、僕が探してきたものが、役に立つかもしれません。
そんな思いで、手紙を書くことにしました。

もし、なにかひとつでも、役に立つことがあったなら
こんなに嬉しいことはありません。

* * *

生きる上で大切なコト、それは「自分を信頼すること」に尽きる。
僕らの人生は、ほとんどこのコトを学ぶためだけにあると言っても良い。
僕は、そう思っています。

では、自分を信頼するとは、どんなことでしょうか。
それは、端的に「許すこと」です。
自分の感情、感覚、思考を、許していくことです。
今日は、感情、感覚という二つの切り口から書いてみます。

まず、感情を許すこと。
私たちは、様々な感情を持つ生き物です。
喜怒哀楽、もっと微細な、言葉にできないような感情・・・

そんな感情を、私たちは、無意識に「良い感情」と「悪い感情」に分けています。
例えば、幸せや喜び、ワクワクする気持ちは、良いモノ。
逆に、恐れや妬み、怒りや哀しみは、悪いモノ。

確かに、誰もが、喜びの中に生きたいですから、
出来るだけ、「良い感情」でいることは、とても素敵なことですし、
「悪い感情」を、感じたくないというのは、とても自然なことです。

しかし、その結果、時に私たちは、
自分が感じている「悪い感情」を、
なかったこと・・・にしてしまうことがあるのです。
私は、妬みなんて感じてないよ、悲しくなんてないよ・・という風に。

それは、「自分が感じている」という事実を否定するコトです。
自らの感情を否定してしまうことになる。

感情を許すとは、自分が負の感情(だと自分が思っている感情)を持つことを
受け入れるということです。
例えば「今、私は、悲しいのだ」と認めることです。
今、私は嫉妬している。今、私は苛立っている。
誰かを、殺したいほどに憎んでいる。

それを感じるのを許可する時、それは肯定的なエネルギー、
即ち、創造的で生産的な力として使うことができるのです。

もちろん、時に、そんな感情を認めるのは勇気がいる作業です。
しかし、自分の中にある、感情は恐れるに足らぬものです。

私たちの心は、無数のボールが入った袋の様なモノです。
憎しみや恐れがあるからといって、それが、全てではない。
それが、「あなた」というわけではないのです。

9のポジティブな感情があっても、1のネガティブな感情が
入っていることだってある。
同じひとりの人に対して、「好き」と「嫌い」、「愛」と「恐れ」
矛盾したボールが入っていることもある。
実は、 それは、当たり前の状態なんです。

この様に、心という袋の中に矛盾する感情のボールが入っていると、
心はその矛盾を知らせてくれます。
「心に、あなたの本質とズレている感情のボールが入っているよ!」
「心に、矛盾したボールが入っているよ!」
ってね。

そんなことを伝えるために、
心は、そのボールを見えやすい所に置いてくれるのです。
だから、その「感情」だけが、すごーく大きくクローズアップされて
自分は、嫌な人間なんじゃないか、とか、すごーく怖い・・とか
感情に支配されてしまった気分になるのですね。

でも大丈夫、それは、排出するために、
心の出口付近、即ち、よく見える場所に配置されただけなんですから。

感情は、それをしっかり感じて、表現するコトで排出されます。
だから、自信を持って、自分の中にある、不必要な感情を
表に出してあげてください。

感情は、その感情を存分に味わえば、もうなくなってしまいます。
感情は形がないし、見えないから怖い。
でも、見てしまえば、大したことないんです。

さて、この心からのアラームですが、
「悪い感情があるなんて、ダメだ」と蓋をしてしまっていると
聞こえないことがあります。

心は、アラームを聴いてもらえないと、
強制的に、ボールを排出することにします。
あまりに「蓋」が強いと、強制排出のプロセスも強くなります。
それが、時に、「パニック」と呼ばれるモノになります。
心の中からの排出エネルギー VS 理性による抑圧
・・・この軋轢が、「苦しさ」として感じられるのです。

苦しいと感じたのなら、自分の心に蓋をしていないかを
まずチェックしてみてください。
「そんな感情持ってはいけない」とか
「そういう感情は私に似つかわしくない」とか・・・ね。

さて、どうしても蓋がとれない~ というときも、大丈夫です。
ちょっとハードですけど、心は必ずそれらを排出してくれます。
必要なタイミングで。
・・・怖いかもしれませんが、そのプロセスは、超自然的な流れの中で、
必ず起こりますから・・・

さて、感情の話はこれくらいにして、
感覚についても触れておきましょう。

私たちの感覚は、最高のコンパスです。
自分を正しい場所へと導く、羅針盤。
それだけが、自分が従うべきモノです。

・ここに居たい/居たくない
・心地よい/わるい
・癒される/緊張する
・一緒にいたい/いたくない

その感覚を、死守することです。
出来る限り、その感覚を優先する。
それに従っている限り、
私たちは、自分のふさわしい場所へ自分を導くことができます。
それに逆らうと、必ず、自分の本質とズレた場所にたどり着きます。

しかし、私たちはそれを、「いけないこと」だと教わってきました。
 しなくてはならないこと、するべきことを優先しなさい。
 仕事だから、役割だから、それはわがままだから・・・
そんな風に。

きっと、感覚に従おうとするときに、頭の中でささやく声がします。

・常識的に考えなさい
・人におかしいと思われるよ
・失敗するよ

それは、チャンスです。
自分が自分の感覚を疑う時、信じられない時、否定する時、
現れるのが、「観念」というもの。
社会、親、文化の「正しいコト」が、
あなたの中であなたのフリをしているんです。

・・・でもね、あるものは、ある。
だから、聞き返すんです。

声:失敗するよ?
あなた:もし、失敗したら
声:笑われる
あなた:笑われたら?
声:・・・・怖くないかい?
あなた:うん、怖いね・・・

必ず、この対話は、「感情」の話になります。
ほとんど、「恐れ」へと帰着する。
そしたら、その「恐れ」を認めること。 そう、上述の感情解放のプロセスへと入っていけば良いんです。

すると、もう、「声」は、お役御免。
語りかけることをやめて、消えていきます。
そう、「声」も、自分の中の「自分の本質とは異質な感情」を
気付かせてくれる、メッセンジャーなんです。

こうして、自分の感覚>社会の声 を
ひとつひとつ創っていきます。
すると、自分の感覚が、どんどんと冴えてきます。

先日、こんなことがありました。
ある日、「ホテルを予約してほしい」といわれ、
何日もネットを見ても、見ても、どーしても決まらず、なぜか、予約できない。
首をひねっていると、直前にキャンセルのお達し。

そう、不要なこと、必要ないこと、やらなくてよいこと を
自然に取捨選択できるようになっていくんです。
何かが進まない時に、「あ、これ、進めなくて良いことだ」と分かる様になる。
逆に、進めるべきポイントがよく見えてきて、
それは驚くほどスムースに進む様になります。

さて、感情と感覚という二つの切り口で進めていた文章も
そろそろ筆を置くこととします。
つらつらと進めてきましたが、
何か、皆さんが生きる上でヒントになることが少しでも含まれていたなら、
こんなに嬉しいことはありません。

皆さんの人生が、愛と調和の中にありますように。
2014年もよろしくお願いいたします。