テーマは、日常的な、人間関係についての話なんですけど、
「カウンセリングやセラピーの現場」には、
人間関係の普遍的なテーマが、如実に見えていて、分かりやすい!
ので、カウンセリングの現場風景から、スタートします。
・・・ということで、付き合ってくださいネ!
カウンセリングやセラピーをやっていると、
まれに、「あなたの話は、理想論ですよ!」といった否定をされたり
まったく自分の話が曲解される瞬間に立ちあって、
「モヤモヤ」っとすることが、あります。
そんな時、あなただったら、どうしますか?
なんせ、カウンセラー=「心のプロ」という肩書きです。
一瞬ひるみますが、結果、多くのカウンセラーは、「傾聴」なるものをします。
本当は、話を聴いているうちに、げんなりし、イライラしているのに、
微笑を浮かべ、「そうですか、わかりますよ・・・」と口にする。
これは、
「自分の、感情を否定し、存在しないことにする」
というコトに他なりません。
ですので、これを、続けると、
話を聴くほどに、自分が蝕まれていきます。
自分をすり減らして行う行為は、
必ず、どこかで破綻します。
結果、自分だけでなく、他の誰かを傷つけるコトになる。
人は、自分を幸せにするプロセスによってのみ、
誰かを幸せにできる。これは、鉄則です。
閑話休題
さて、カウンセラー本人にとって、その状態は、辛いモノ・・・
だから、無意識にそれを、避けようとします。
「クライアントは「発展途上」なんだから、仕方ない。
そう思って聴いていれば良いのだ。怒ることなんて、ない」
・・・これは、カウンセラー側の、心理的自己防衛の投影に過ぎません。
この心理的な距離感を、クライアントは、見逃しません。絶対に。
必ず、「伝わっていない」と感じるわけです。
そして、「私の言っていること、わかりますか?」とカウンセラーに訊ねます。
カウンセラーは応えます。「もちろんですよ」と。
すると
クライアントは、
「『聴いてもらっていない』と感じた、自分の素直な感覚」を否定し、
「わかります」と口にする、相手の言葉を信じることになります。
つまり、「自分の感覚」<「相手の言葉」・・・
多くの場合、
「自分の感覚」<「相手の言葉」←これ がテーマで
「自分の感覚」>「相手の言葉」・・・こうすること・・が
カウンセリングの目的なんですけど、
「カウンセリングの現場」で
「自分の感覚」<「相手の言葉」が強化されるという、
本末転倒なコトが起きてしまうわけです。
これが、うまくいかないカウンセリングの典型だと思います。
では、どうするか。
そもそも、カウンセリングは、本来、人格的な成熟者達が、
自然に行ってきたことを、そのレベルにない者も、使える様にした技術体系です。
ほんとは、イエスやブッダ・・・もちろん、そこまでのレベルになくとも
ある程度の、成熟者達が、その文化圏で担ってきたモノ・・・
その多くは、宗教者など・・・常識の外にいる人々でした。
僕を含め、カウンセラーは、多くの場合、それを行うに足る、
人格的成熟のレベルにありません。
(もちろん、そういう人も、いるでしょうけど)
だから、クライアントの話を聞いている中で、
イラっとしたり、違うと思ったり、訂正したくなることが、ある(と思う)。
そんな感情がよぎったのならば、それは、表に出すしかないのです。
それを抑えることで生まれる状況は、上述の通り、悲しいモノですから。
しかし、ただ「イラっとする」を見せるのではありません。
ここからは、技術で補える部分。
ただ、イライラを態度に表すのではなく、
「自分の気づき」として、クライアントに伝えるのです。
「今、私の中に、モヤモヤした、苛立の様なものが浮かんできました。」
それだけでも、きっと、カウンセラーとクライアントとの関係は、
一歩深まり、ゴールが近づきます。
状況を、さらに、深めたい場合は、
カウンセラーは、自分の苛立に対して、その場で、フォーカスをします。
(カウンセリングにおいて、カウンセラーがカウンセリングしているのは
いつだって、自分です。)
そして、自分の内部からメッセージを引き出し、それをシェアしていくんです。
これが、うまくいくセラピーの中で、起きていること。
(この等身大の関係性だからこそ、人格成熟者によるセッションとは、また別の面白い「気づき」の共奏空間が成立するのが、現代の心理療法の在り方だと思います。)
さて、話を日常生活に戻しましょう。
・カウンセラー→「自分」
・クライアント→「相手」
に読み替えると、これは、人間関係における、
普遍的な構造の話であることが、見えてきます。
僕らは
「自分の立場、肩書き、こうあるべき」という自己定義に縛られて
自分の素直な感情や、感覚、反応を押し込めてしまうことがあります。
すると、
・自分の感覚の否定(イライラしてはダメ、私は悲しんでなんていない・・・)
という道か、
・相手の否定(この人は、バカだから、頭が固いから・・・仕方がない)
という道を、選ぶしかなくなってしまう。
だから、
感覚や感情は、感じたのなら、表に出すこと。
できれば、すぐ、その場で。
「わー!!!」と出してしまえば良いんですけれど、
それが難しい関係性の時は、上記の方法を使うんです。
つまり、自分の内部で起きているコトを、伝える。
「わたし、今、すごく、モヤモヤしたモノを感じているんです」
「聴いていて、すごく、違うな・・・そんな感覚が、出てきてしまったんです」
・・・自分も、何故だかわからないけど、その感覚はとても大切な気がするから、
話をしながら、見つけていきたいのです・・・と話し出す。
そこで、「結論」が出なくとも、
・感情を押し殺して、自己否定の道を歩く
・相手と距離をとり、相手を軽んじ、関係性を壊す
よりも、ずーっと生産的な時間が生まれます。
少なくとも、
・自分の感情を大切にし、自分を大切にすること
・それを相手に伝えるコト=相手とまっすぐ向き合うこと=相手を大切にすること
は、実現されるのです。
僕らが、理解する必要があるのは、
・自分の感覚を信じてあげられるのは、自分だけ
・自分の感情を汲んであげられるのは、自分だけ
・自分を表現させてあげられるのは、自分だけ
ということ。
自分の感覚が、社会的に正しいかどうかというのは、
どうでも良い話なんです。
それが言い過ぎなのなら、少なくとも、「次」の話。
「今、自分が、それを感じたコト」
それは、紛れもない、リアルです。
それを信頼することからしか、僕らはスタートすることしかできないんですね。
そして、そこをスタート地点に据えた時、
僕らは、自分を解放する足場を手に入れることになるのです。