サメに食べられたら本望? | 須藤峻のブログ

須藤峻のブログ

すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

昨日、むかし会社に勤めていた頃(そんな日もあったのです)の同期と
久々に会った。
彼女は、とてもユニークな人で、一目置いていたのだけど、
そんな彼女に、また、ひとつ、教えてもらった。

彼女は、ダイビングが趣味で、よく、潜っている。
そんな会話の中でのこと。

須藤
「ダイビングって怖くないの?サメとか来るじゃん?」
彼女
「全然、怖くないよ。怖いのは、運命に、身を委ねていないからだよ。
私は、道を歩いている人の方が、むしろ、怖いとすら思う。
なんか変な人に、殺されるより、大好きなサメに殺された方が、ずっと良い。
サメに殺されるなら、本望。」

彼女は、こともなげに、さも当然でしょ?という様な口ぶりでそう言った。

うーむ、なるほど・・・僕は、深くうなずいてしまった。
(今思えば、若干、突っ込みどころはあるけれど 笑)

とっても重要なコトを、彼女は述べている。


身を委ねていない時に起こる感情が、「恐れ」であり「怒り」。
運命に抗えば「怒り」となり、それを忌諱すれば「恐れ」となる。

恐れるのは、「委ねていない」ということ。
委ねていないのは、握りしめているということ。
大きな運命の流れに抗って、その潮流を信頼していないということ。
だから、必死で、頼りない命綱を握っている。

僕らが、手放せないのは、信頼していないからだ。
「そこで、自然に起こること」を信頼していない。
「そこで、自分が、自然に起こすこと」を信頼していない。

必要なコトは、ただ、委ねることなのだ。
運命は、ちゃんと、転がっていく。
大河の中で足を踏ん張ったって、大した抵抗はできない。
だから、大河の流れにのって、どこまでも行けばいい。

タイミングを信じれば、やきもきなんてしないし、
その結果を信じれば、イライラも、恐れたり、心配になったりもしない。

委ねることだ。
「サメに食われて死ぬのなら、それは、本望だ」
そう思うこと。そう思える場所で、そう思えるコトを、すること。
それを、人生にすること。

愛への執着を捨てた時、
僕らは、本当の愛を知るだろう。

孤独への恐れを捨てた時、
僕らは、絆を手にするだろう。

生への執着を捨てた時、
僕らは、本当に、自由な生を見つけるだろう。

「海が教えてくれた知恵」を、共有してくれたコトに、感謝です。