哲学的セラピー | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

豊かに生きる。幸せに生きる。夢を実現する。
それをゴールとして、そこに至る過程をデザインし、その障壁を取り去ること。
それが、心理学的なセラピーの目的だと言ってよいだろうと思います。

確かに、ハッピーライフの実現は、人生の大きな目的であろうと思います。
しかし、人生とは本当に「それだけのモノ」なのでしょうか。

僕は、こう考えます。

 生きるとは何か、愛とは何か、善いとは何か?
 自分はなぜ生きていて、人はなぜ存在しているのか?
 自分が生きる目的は何か?

人生とは、その根本的な疑問に、自分なりの答えを探していくこと、
それを探していく道筋そのものです。
旅の目的は「目的地への到着」ではなく、「旅路そのもの」であるように、
人生とは、それを歩むこと自体に意味がある。

その道程とは、世界をより深く知り、より本質的なモノに触れていくこと。
ひとつ深い真理を見つけた時、僕らは新たな視界を手に入れます。

深い山道を登りながら、ふと視界が開けた時、
これまでは、まったく見えなかった風景が広がる。
これまでの考え方や、知識を超えたモノ、自らを超えたモノとの出会い。

人生の目的とは、真理を学ぶことにある。

もちろん、最終到達点としての「唯一無二の絶対真理」などというものが
あるかどうか、それは不明です。
「ない」と宣言することすら、できない。ましてや「ある」なんて。

しかし、その絶対真理の不在(不確定)は、僕らの学びの道を妨げるモノではありません。
僕らの知性は、常に越境し、絶えず伸張し、増殖していくコトを求めます。
それは、僕らの知性の根本性質と言ってもいい。
真理を見つけること・・・それは、僕らの魂が、僕らに課す、ミッションです。

僕らは、真理を知る喜びを知っています。
ひとつ深い真理を知った瞬間、僕らは空気が震えるのを感じます。
「わかった」「そうか」・・・その「気づき」が、僕らを牽引する。

その瞬間、僕らは、ひとつ深いレベルで生きるコトを開始する。
これまでのモノの見方、考え方、感じ方が変化し、異なる世界を生き始める。

それは、自らを解放することです。
より根源的な原理や真理を知った時、人は、小さなルールを手放すことができます。
いや、自分が小さなルールに縛られていたことを、はじめて知ると言った方がいい。

例えば、「善いコト」の本質を知った時、
はじめて、自分が社会のルールに縛られ、社会の価値観の中で生きていたことを知る。
結果、「自分が勝手に決めてしまっていた、従うべきルール」を手放せる。
そして、自分が見つけ出した本質的な善を、生きればいい。

知とは、僕らを、解き放つためのモノです。

その結果、人生はより簡単で自在なモノへと変わっていくでしょう。
より豊かで、愉しいモノへとシフトしていく。
しかし、それは、二次生産物の様なモノ。副次的なモノです。

本当の目的は、世界をより深く知り、より本質的なモノに触れていくこと。
「自分」をより深く知り、より柔軟に、より深い場所から、世界を生きるコトです。

哲学的なセラピー(と僕が、勝手に呼んでいるだけですけど)は、
その目的を、「学び」に置きます。
自分の「本当」を探し、そこにアプローチしていく中で、
新しい世界観へとシフトし、生の意味を見つけ出していく。

それは「自分が生きる上で、とりあえずの目標を持ち、わかりやすく人生を生きる」
ということではありません。
真理に触れる感覚を研ぎすまし、自らが、絶えず自らの真理を決定しながら生きる決意、
自ら、自らの人生を引き受けていく覚悟をしていくコトです。

生きるコトを問う。
そこにこそ、圧倒的に面白い、冒険が待っています。
全ての出来事を、世界の本質をより深く知るための「ステージ」として使っていく。

その視点に立つ時、何もかもが、全ての出来事が、
自分に向かって語りかけてきます。
全てが「シグナル」へと変わる。
そこに導かれて、僕らは、今日、昨日より深い世界を生きるんです。

次のステージへ・・・共に、踏み込んでいけたらと思います。