「どこにいるか」ではなく「どうあるか」 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

僕らの体験は、自分自身の思考と行動の成果です。
自分がセカイに対して取っている態度が、帰ってくる。
とても、シンプルな原理です。

例えば、いつも素直で目の前のコトを愉しんでいる人は
どんな場所に居ても、気をつかわない、相互に支えあう関係を作ります。
逆に、いつも嘘をついていれば、どこにいても、疑心暗鬼に満ちた関係性を作ります。
それは、「学校」でも「家庭」でも「職場」でも、同じ。

ポイントは、自分の態度です。
自分が映写機(プロジェクター)になったと、イメージしてください。
現実(学校・家庭・職場・・・・)は、スクリーンの様なモノです。
自分自身の態度が、「映画」です。
だから、どこに映し出したって、自分が選んだ映画しか見られません。
いつもラブストーリーを映し出すこともできるし、
サスペンスや、ホラーにすることもできる。

だから、スクリーンは、あんまり関係ないんですね。
即ち、「自分が、所属している場所、暮らしている空間」は
自分の経験において、さほど重要ではない。

かわりに、「どうあるか」、即ちその人が「現実に向かい合う態度」(=映画の選択)が、
その人の、体験する「時間と空間」すなわち、人生を決めることになるわけです。
この原理を理解すると、色々、見えてきます。

時に、僕らは、岐路に立ち、右にいくのか、左にいくのか迷います。
また、あのとき、左を選んでいたら・・・そんな後悔を感じることもあります。
しかし、実は、左の道を選んでも、右の道を選んでも、
人生は、あんまり変わりません。

どちらの道を選んでも、(=どちらの、スクリーンを選んでも)
「自分の在り方」が、経験する現実を決めるわけですから。
右に行ったセカイで大成功する人は、もし左に行っていても大成功したでしょうし
壁にぶつかる人は、どちらを選んでも、壁にぶつかることになったはずです。

すると、今、自分が体験している現実、
「今、居る場所」「今、向かい合っている体験」は
 ・どんな選択をしてきても、必ず辿り着いた場所であり、必ず出会うべき体験だった
ということが見えてきます。

まさに、それは「運命的に」自分の前に現れた。
全ての瞬間が、そんな風に、僕らの前に存在しています。
だから、僕らがすべきことは、たった一つ。

今・ここ、この運命的、宿命的、必然的な瞬間を生きることです。
自分をして自分に送り届けた、唯一の現実に、徹底的にフォーカスすることです。
そこに、自分の人生全てが、集約されています。

今・ここの、感情、身体感覚、呼吸、思考・・・
そのリアルにフォーカスすることが、
「生きる」ということの、支点であり、同時に始発点なのだろうと思います。