クライアントのAさんから、メールで、近況の報告をもらいました。
許可を頂いたので、そのやりとりから、共有したい部分を、掲載してみようと思います。
Aさんは、現在、根源的な「テーマ」に向き合っている、とても勇気ある、僕の”同士”です。
Aさんは、子供の問題、親との関係、職場での問題・・・一斉に表面化してきた「問題」を前に、
その根源にある原因、その諸問題を創り出している「自分自身」の内面セカイに
切り込もうとしています。その懸命な姿勢に、僕自身、たくさんの学びをもらっています。
さて、Aさんからのメールに、こんな内容が書いてありました。
「・・・自分の問題を、親しい人に話をしたところ、
「辛い話は聞きたくない」と言われてしまった。
そのため、毎日、ずっと一人で黙って考え続けている。
どうしたらいいのか・・・と考えても、何も出来ないで疲れて寝てしまうだけ。
ありのまま書きました。許してください。」
その返信で、僕は、こんなことを、伝えました。
(ある程度、関係性があるので、わりとラフだったり、
事前にセッションで話をしたことを前提にしているので、
少し分かりにくい部分もあります。)
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<須藤 → Aさん へのメール>
まず、「許してください」という最後の言葉から、考えてみよう。
誰が、何を許すのだろう。
僕は「許す」場所にいないよね
僕は読みたくなければ読まないし、聞きたくなければ聞かない(笑)
そこに、僕の主体性があります。
相手が「聞く場所」にいる・・・ということは、
互いに「与え合う」=経験をシェアするという点で、
基本合意ができているということです。
だから、伝える自分と、伝えられる僕を、信頼してください。
そして、ここから一つのポイントをピックアップしてみたいと思います。
それは、まず「定義」を緩めてみるということです。
Aさんは、無意識にこんな風に定義をしてるんではないだろうか。
・ありのままを伝えること、ありのままでいることは、ダメなこと(伝える側)
・ありのままを伝えられることは、迷惑なこと(伝えられる側)
これは、まったく自明(自ずと明らかなこと)ではありません。
次の様な定義だって、充分に正しい。
・ありのままを伝えること、ありのままでいることは、良いこと(伝える側)
・ありのままを伝えられることは、気づきを得る、重要な機会(伝えられる側)
自分がありのままでいること、ありのまま表現することを「許してください」。
それが、最後の言葉の示す、「自分から、自分に向けたメッセージ」だと思います。
(メッセージは、常に、自分から自分へと向けられています!)
そして、「何も出来ないで疲れて寝てしまう」というのも、同じです。
それは、「だめなこと」、「悪いコト」、「劣ったこと」・・・
そう自分で、「決めている」、「定義している」のです。
今、Aさんは、必要な学びのために、必死で、大きなテーマに
立ち向かおうとしているんです。
「疲れて寝てしまう」ほどに、今、自分は立ち向かっている・・・
そう捉えてることができます。
もちろん、「そうありたくない」という感覚を持つことは、自然です。
でも、現状の自分に対する、「ネガティブな評価」だけを、
「信頼する」必要は、ないんです。
いきなりは、難しいかもしれない。
けれど、この様に考えることもできます。
・Aさんが、学んでいく過程 = 本来の自分に戻っていく、ポジティブなプロセス。
・それを共有すること = ポジティブなこと。
この様に定義すると、それをサポートしたいという人たちが集まってきます。
Aさんと同じ様な立場、同じ様な場所において学んでいる人たちにとっては、
Aさんの人生が、参考になります。
その様な人を支える側の人たちにとっても、参考になります。
Bさん、CさんやDさんの事・・・・全て、Aさんが得た有用な経験値です。
それはシェアすることで、誰かの学びに貢献することができます。
誰かが、自分のテーマを学ぼうと試みるときに、必要な情報を提供することができます。
Aさんは、それを通じて、人をサポートすることができます。
Aさんが、それを学び、向き合っている過程そのものが、
誰かを支援することになります。
ポジティブな定義をすると、ポジティブな関わり方を生み出します。
逆に、「ネガティブなもの」と定義すると、みんな出来るだけ聞きたくない・・・と感じ、
離れていきます。「辛い話は聞きたくない」という反応が返ってくるわけです。
だから、自分が自分と向き合うこと、その過程にあることを、
意味のある、多くの人に取って生産的なことだと、理解してください。
そのありのままを、表現すること、そのありのままの自分であること、
その中で自分が自分に与えていくもの、自分が周囲に与えていくものを、信頼してください。
もし、それが難しいと感じたら、
今度は、なぜ、「ありのままの自分を、表現することは、ポジティブなこと」と
定義することに抵抗があるのかを、自分に問いかけていきます。
必要であれば、そのワークをやっていきましょう。
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この後にも、色々と、具体的な話があるんですけど、この辺までにしましょう。
僕らは、
・◯◯をしたら、迷惑だ
とか
・◯◯は、価値がない
とか、たくさんの定義を自分の中に持っています。
その定義は、当たり前になってしまっていて、自分でも気がつかないことが多い。
その定義は、必ず、「正しく」現実体験として反影されます。
自分が、「ネガティブなもの」と定義しているんですから、
相手は、「ネガティブなもの」を受け取ることに、ストレスを感じます。
これは、どんな場面でも共通します。
例えば、トイレ掃除を「やりたくないけど、やらなくてはいけない仕事」と
定義していれば、誰もが押し付け合う仕事になります。
「一日を始める、尊い儀式」と定義していれば、
率先して相手がやってくれることになります。
自分の定義だけが、自分の受け取る現実を決めます。
自分の経験している現実が、自分の中の定義を教えてくれます。
物事が上手くいかない時には、
自分の中に、その物事へのネガティブな意味付けをしていないかを、
確認してみてください。
そこには、さらに深い学びに続く”ドア”が僕らを待っています。
最後に、自分に向き合い、そこから、僕らに学ぶ機会を
提供してくれているAさんに、感謝を贈ります。