普段生活していて自分の死について考える時、
大概の人は
「家族はそばにいて」
「布団の上で」
最後を迎えると想像している。
不意に車がぶつかって
突然家が崩れ
足を踏み外し落下して
火災にあって逃げ遅れ
事件に巻き込まれ殺されて
日常どこかで、毎日、
誰かは突然の避けられない死を迎えている。
私は死の間際の走馬灯の存在について、やや疑問を持っている。
本当に人は死の間際にこれまでの人生を
走馬灯のように場面で思い返すのだろうか、
瞬間に脳はそんな機能を果たすんだろうか、
脳神経を走るのは電気なわけだが、スピードは物理的に変わらないだろうから
信号処理にかかる時間を思うならムリそうじゃないか?
だいたい、
「死にかけたときに本当に走馬灯を見た」というレポートは、
「臨死体験をした」というレポートに比して、
ほとんど聞かないし知らない。
私は「死」のマニアなので、あれやこれや読み漁っているが、
比較にならないぐらい数が違う。
・・・とはいえ幽霊や天国の存在よりは
走馬灯の存在を私は
疑ってないとはいえる。
死の前に脳が認知する世界は、
脳や脊髄がないのに感覚を持っている死後の世界よりリアリティがある。
そもそも臨死体験も「生きた脳の体験(認知)」だしな。
しかし、死の一瞬前に
永遠とも感知できる時間が自分に訪れる、
なんてのは都合がいい妄想のように思える。
実際は、パソコンの電源を突然コードを引っこ抜いて落とすように、
次の瞬間には無になっているように思う。
そこになんらかの余韻はないのではないか。
人間の最後の知覚は聴覚と聞いたことがあるが
(私は脳に近いぶん嗅覚ではないかとか思うんだが)
最後にどんな音を聞くのだろうな、
と考えることはある。
大概の人は
「家族はそばにいて」
「布団の上で」
最後を迎えると想像している。
不意に車がぶつかって
突然家が崩れ
足を踏み外し落下して
火災にあって逃げ遅れ
事件に巻き込まれ殺されて
日常どこかで、毎日、
誰かは突然の避けられない死を迎えている。
私は死の間際の走馬灯の存在について、やや疑問を持っている。
本当に人は死の間際にこれまでの人生を
走馬灯のように場面で思い返すのだろうか、
瞬間に脳はそんな機能を果たすんだろうか、
脳神経を走るのは電気なわけだが、スピードは物理的に変わらないだろうから
信号処理にかかる時間を思うならムリそうじゃないか?
だいたい、
「死にかけたときに本当に走馬灯を見た」というレポートは、
「臨死体験をした」というレポートに比して、
ほとんど聞かないし知らない。
私は「死」のマニアなので、あれやこれや読み漁っているが、
比較にならないぐらい数が違う。
・・・とはいえ幽霊や天国の存在よりは
走馬灯の存在を私は
疑ってないとはいえる。
死の前に脳が認知する世界は、
脳や脊髄がないのに感覚を持っている死後の世界よりリアリティがある。
そもそも臨死体験も「生きた脳の体験(認知)」だしな。
しかし、死の一瞬前に
永遠とも感知できる時間が自分に訪れる、
なんてのは都合がいい妄想のように思える。
実際は、パソコンの電源を突然コードを引っこ抜いて落とすように、
次の瞬間には無になっているように思う。
そこになんらかの余韻はないのではないか。
人間の最後の知覚は聴覚と聞いたことがあるが
(私は脳に近いぶん嗅覚ではないかとか思うんだが)
最後にどんな音を聞くのだろうな、
と考えることはある。