久しぶりにログインした。

死を忘れていたわけではなく、毎日考えることに変わりはない。

死は逃れられないのかを考えるあまりに、
死に取り組む職に就いた。
生を学べば何か変わるかと思ったが、
学ぶ前となんら恐怖は変わらない。
ただ他人の死が身近に日常になっただけだった。

世界は自分の脳が認知している。
肉体があり自分は世界を感じられている。
目で見た世界はルートを通り脳で情報を処理されている。
眼球もルートも脳も、どれかひとつでも損傷すれば見える世界は変容する。

肉体が停止してしまえば、
見ることは出来なくなる。

そんなことは当たり前に知識のない子供にだって分かることだ。

死ねば世界は止まる。

受け入れられるか?
世界はいつの間にか始まっていた、
終わりもある時に突然来る。
病気なら死期を予期できるかといえば、
ざっくりおおよそであって、
やはりその瞬間は突然だ。

死は認知できる世界の終わりだ。
なら恐怖していい。
怖くて当たり前だ。
もがいていい、
悲しんでいい。
苦しんでいい。

それも生きた感覚だ。

抗っていい。

静かに受け入れるのが美徳とする価値観を
ばらまくのはやめてほしい。
死にたくないと叫んでから死んだっていい。
みっともなくない。

なので自分はやなせたかし先生が好きだ。
最後まで死を恐れており、
それを隠さなかった。