sudipのブログ -15ページ目

sudipのブログ

ブログの説明を入力します。

私の卒業論文は、「脳から考える審美的数値・回路・アルゴリズム」という名前だったか忘れたが、

美しいという感情はどこから来るのか。
なぜ、ある特定のものを見た時、感動をするのか。
なぜ、同じブランド品のみに目が行ってしまうのか。
美しいという感情は、どのような脳内構造になっているのか。

という疑問があった。

私は、その頃、そのアルゴリズムを作ることに多くの情熱を燃やしていった。

研究する前には、私は、自分が歩んできた人生の経験からの気づきから独自の理論、哲学を持っていた。
科学的に考えていけばいくほど、DNAが関わっているに違いない。
DNAには、人間の人生が刻まれており、私たちはそのDNA情報に基づき、人生を歩むことが多いという科学的事実がある。(らしい)

 そもそも私たちがそれぞれ好む傾向というものは、私たちの中に何かあるから反応するのではないか。

例えば、生得的にもっている好み、数学が好き、音楽が好き、美術が好き。

なぜか解らないが、絵が上手く描ける、練習しなくても、当たり前にできる。

それは、DNAに刻み込まれているからではないか。だから、あるモノが何か気になるという感覚は、私の中にそれがすでにあって、それと呼応しているため気になるのではないだろうか。
という考え方だ。

そう考えると、DNAに無いものには、無関心であるとも言える。つまり興味がない。

心理学的にも、好きと嫌いは表裏一体だという。
 嫌いという感情も、好きという感情に変わることもある。例えば、大嫌いな人、いつもむかつく人がいるとする。心理学的には、それは自分自身だという。自分の一番嫌な部分が鏡のように映し出されているから嫌悪するのだ。嫌いな人は自分自身だから、そんなに嫌いにならなくてもいいよぉーっていうお話だったような気がする。ただ、やっぱり嫌いだ。
ただし、その人を好きになってしまう方法が1つある。
その人の悪いイメージが多く点在しているのであれば、何か1つ良いことをするだけで、その人は 良いとこあるじゃん! という認識に変わる。逆に良い人過ぎると、1つ嫌なとこがみつかるだけど、「あいつは、あそこがなければ良いんだけどな。。」という認識にもなってしまう。好きも嫌いも移り変わりやすい。それは、大きな枠の中では1つのものとなると私は考えた。

それは、「興味がある。」という分類だ。
好き、嫌いという感情を持ち合わせ、少なくとも興味の無いものよりは多くの時間をそれに費やす。

つまり、「興味がある」ということは、DNAに刻まれているのではないだろうか。と考えるようになっていったのだった。
興味の無いものには、時間を費やすことは無い。大きなカテゴリーからみて興味があるため、そこに多くの時間を費やすのだ。そう考える内に、私はDNA=魂なのではないか。という考え方を持ち始めたのであった。

多くの時間を費やすことは、人生となる。魂の声を聞くことが、私の人生を生きること