これを観るのは2回目。
初見から10年以上経った映画で、当時強烈な印象を残した作品を、あらためて見直している。
この映画は、アメリカのドキュメンタリー映画界の“エグさ”に衝撃を受け、
ずっと記憶の片隅にあった。
大人になった視点でもう一度観てみようとおもいレンタルしてみた。
9.11で、世界貿易センターの破壊された窓から、
炎に耐えきれず身を投げた人々の映像に衝撃を受けた監督が、
“投身”という行為に、ある意味で魅せられ、
世界一、投身自殺が多いとされるゴールデンゲートブリッジから身を投げる人々を、
同じ場所から1年間撮影したドキュメンタリー映画である。
この作品には、さまざまな意味での衝撃がある。
まず、どの映像にもボカシが入っていない。
飛び降りる人も、インタビューを受ける家族や友人も、すべてノーボカシだ。
その代わり、残酷な遺体や血の描写はない。
映るのは、着水した瞬間の水しぶきだけ。
しかしそれは、彼ら彼女らが死んだ「瞬間」でもある。
人の死をここまで生々しく映し、映画として提示することへの倫理的議論が巻き起こるのは当然で、
劇場公開は相当苦戦したと言われている。
それでも、この作品は、それまでタブー視されてきた「自死」や、
死に至るほどの精神疾患について、社会に問いを投げかけた作品として、
公開後、徐々に評価を高めていった。
アメリカでは後にテレビ放映もされたとある。
わたしは、この作品を肯定的に受け取っている。
死の瞬間そのものよりも、
「死を決意するまでの時間」を映し出した、極めて貴重な映像だと思うからだ。
身内に自死した人はいない。
だが、鬱病を二度経験しているので、
死を選びたくなるほどの苦悩が、わずかながら理解できる。
死のうとしたことはない。
それでも、「死」が選択肢のひとつとして頭に浮かぶ感覚は、否定できない。
人生は、自分のものだ。自分だけのものだ。
親や兄弟、配偶者や子ども達のものではない。
残された人たちは、一生消えない心の傷を負うかもしれない。
それでも、自分が立つ分岐点は、自分のために選んでいいと、わたしは思う。
映画には、橋の上で長い時間、下を覗き込み続ける人々の姿が映っている。
いきなり欄干を越えて飛び込む人は、ほとんどいない。
彼らは、たくさん悩み、傷つき、混乱し、絶望し、
その末に終わりを選んだのだろう。
この映画の冒頭から終盤まで印象的に映し出される「ジーン」という男がいる。
80年代ロックを思わせる長髪、全身黒の革ジャンに黒い革手袋。強面の外見だ。
彼は橋の上を行き来し、下を覗き、行き交う人々を見つめている。
誰かが救い出してくれないか。
あるいは、別れた恋人が止めに来てくれないか。
そんな、かすかな希望を探して彷徨っているように見えた。
だが彼は、突然欄干に立ち上がり、海に背を向けて身を投じる。
この世と決別するように。
迫りくる海面の恐怖から、目を背けるように。
カメラは、ジーンが水しぶきを上げ、海に飲み込まれる瞬間を捉えている。
死を決意するまでの彼の姿が、ひどく痛ましい。
ほかにも、携帯電話で長々と誰かと話し、
おそらく怒鳴っていたのだろう男が、
通話を切り、携帯を地面に叩きつけた直後、海に身を投げる場面もある。
また、大学生の息子を亡くした夫婦が、
息子が自死したと悟った時点で捜索願を出すのをやめ、
警察からの連絡を待つことにしたと語る。
「もう、死なせてやろうと思った」
そう語り、息子の死を受け入れた姿も印象的だった。
統合失調症の娘を失った母親は、
「あの子は、ようやくラクになれたのよ」と、
安堵した表情で語る。
失う悲しさがある一方で、
振り回され続ける辛さがあることも、確かに存在する。
大人になった視点でみても、
いろいろと考えさせられる、衝撃の一作だった。
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2006年・アメリカ
脚本・監督: エリック・スティール
あらすじ:
サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジを舞台に、約1年間にわたり自殺を試みる人々の姿を記録したドキュメンタリー。橋を訪れる人々の何気ない仕草や沈黙、そして決定的な瞬間を遠景から捉える一方、遺された家族や友人へのインタビューを通じて、自殺が個人だけでなく周囲に残す深い傷を浮かび上がらせる。説明や感情誘導を極力排し、見る者に「生と死の境界」を直視させる、極めて冷徹で倫理的緊張を孕んだ作品。
ジーンについては、
たった1日だけでいいから、
あの長髪をばっさり切ってショートにして、
薄黄色のシャツに、明るいグレーのスーツをパリッと着て、
街を歩いてみたら、
少しは気分が変わったのではないか、とも思う。
沈んだ気分のときに、黒はダメ。
視界が遮られる長髪もダメ。
サンフランシスコにあるこの橋。この場所から身を投げたら、もしかしたら天国にいけるんじゃないかと錯覚してしまう気持ちもわかる。
ビルから飛び降りるよりも、この橋から飛び降りたいと思う。
この映画をきっかけに、この美しい橋に自殺防止網の設置について議論がながいことかわされ、
2024年にようやく設置された。
こんなもの設置されても、他所で死ぬだけでは?
という意見もあるが、「この橋だから死にたい」と吸い寄せれられる人もいたのだから、
これはこれで一定の効果をはっきしているのだろう。
橋から真下の海をみつめて「死のうか、死ぬまいか」と悩む場所ではなくなったのではと思う。
▼キリスト教徒にとって「自死」は罪である。橋からはアルカトラズ島(元アルカトラズ刑務所)が見えるのがなんとも皮肉。
▼鳴門大橋の自殺防止柵は、ガチガチなのだ。





