覚えている。
このニュースを覚えている。
小さな女の子が、泣きながら、でも声を押さえながら、
「たすけて」と電話で訴えていた。
「だれか、わたしをむかえに来て」と。
2日間、ヒンドは電話で助けを求めていた。
通話が切れ、ヒンドの安否が確認できなくなった。
というニュースを覚えている。
イスラエルから容赦ない攻撃を受けている
パレスチナ人虐殺のニュースだ。
この映画は、ヒンドちゃんが「人道支援組織パレスチナ赤新月社」と交わした
実際の音声を流しながら、役者たちが当時、なにが起こっていたのかを
再現した映画である。
イスラエルは、ヒンドちゃんと赤新月社の通話を傍受していた。
場所も把握している。
赤新月社が救助するのを待ち構えていたのだ。
ヒンドちゃんを餌に、赤新月社の救護班を殺すため、
待ちかまえ、殺した。ヒンドちゃんもろとも。
としか、思えない。
ヒンドちゃんは、ハマスなのか?
ヒンドちゃんを助けようとした青年たちはハマスなのか?
いくらニュースを調べ、歴史を調べても、
5歳の子どもを殺す理由が分からん。
映像をみながら、音声をききながら、
怒りにふるえて、涙がとまらなかった。
これは人殺しを正当化する「戦争」なの?
ただの人殺しでは?
あなたは、ヒンドちゃんをいつ殺せるかと、楽しみに待ってたの?
ヒンドちゃんを殺すことが、“任務”って納得してんの?
戦争じゃなくて、ただの「殺し屋」でしょ。
職業、軍事でなくて「殺し屋」
任務、人殺し。
なんでも正当化してしまう「戦争」という言葉が、大嫌い。
ハマスがしていることと、イスラエルがしていることは、
なにが違う?「人殺し」をしているだけでしょ。
どんな大義名分があるの?
どっちも、地獄の炎に一生焼かれつづける人間のクズ。
憎しみって、どうやったら終わらせられるの?
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2025年・チュニジア/フランス
脚本・監督:カウテール・ベン・ハニア
出演:サジャ・キラニ、モタズ・マルヒース、アメル・フレヘル、クララ・クーリー
配給 / 制作:スターキャットアルバトロス・フィルム /
あらすじ(400文字以内):
2024年1月29日、パレスチナ・ガザ地区。人道支援組織パレスチナ赤新月社に緊急通報が入る。銃撃を受けた車内に取り残された6歳の少女ヒンド・ラジャブが、助けを求めていた。スタッフたちは電話をつないだまま彼女を励まし、救急車を現場へ向かわせるため奔走する。本作は、実際に赤新月社に残されたヒンドの通話音声を用いながら、救助にあたったスタッフたちの側を俳優による劇映画として再構成している。
2026年9月は、戦争に関する新しいアプローチの映画が多い。
観たいのだけど、ちょっと間をあけないと、
気持ちがヘビーすぎる。
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」←ベトナム戦争
「戦場0地点」←ロシアによるウクライナ侵攻
「ヒンド・ラブジャの声」←イスラエルによるパレスチナ虐殺
どれだけ、心動かされる映画を作っても、
悲しいかな、政治家は戦争をけしかけちゃうんだよな。
映画みて「戦争」はアカンと思っても、
他国がもってる“モノ”が欲しくなったら、人を殺すのが、人間の仕組みなんだよ。
▼イスラエル政府は調査すると言うてるが、ネタニヤフを信用する人おる?
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「戦争」という言葉で、人殺しが正当化されるのがキライだ。
もちろん、戦争には反対だ。
だけど、どっかの国が日本に突然、爆弾をおとしてきたら?
日本人に侵攻してきたら?
どうしたらいいの?
逃げ惑うだけ?
自分の大切な人に銃をつきつけたら、会話で解決しようとするのが正解?
戦争って「ハイ、スタート!」ってはじまらない。
加害側と被害側の関係からはじまるんだよ。
ニッチモサッチモいかなくなって、
被害側が防衛のために始めた反撃が、
どうにもこうにもおさまらなくなって、「戦争」っていう人殺しゲームになるんだ。
どっちが、多く人を殺したかゲーム。
どっちかが、もう殺さないでください!と根をあげたら終わるゲーム。
もし、どっかの国が攻めてきたら、
どうやって守るのが正解なのか、わたしには分からない。


