映画 怒り | “信頼”と“味方”vs.疑念 | 気むずかしい いろいろ

気むずかしい いろいろ

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映画「怒り」キャスト集結ポスター 2016年秋公開

2007年に発生したリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件と、

その犯人である市橋達也の逃亡劇から着想を得て作られた映画。

なかなかオモシロイ視点の映画である。

 

殺人犯が逮捕された時、犯人と交流のあった人がよくいう言葉。

「まさか、あの人がそんなことをするとは思わなかった」と、

「TVで顔をみて、“もしかしてあの人じゃないか?”って噂してた」。

 

TV番組の未解決事件の公開番組をながすと、

通報の電話が鳴りやまない。

全国各地から犯人とおぼしき通報が入る。

 

その大半は「疑い」であって、犯人ではない。

昨日まで信頼していた人が、愛した人が、親しくしていた人が、

過去を語りたがらないだけで、周囲から「疑い」の目を向けられる。

 

そんな社会としてはあたりまえの反応なのだけど、

当事者としては居場所をなくしてしまう防衛反応を

この映画はうまく描いている。

 

東京・千葉・沖縄の3か所で起きる、それぞれの「疑い」。

 

東京:ハッテン場のサウナで知り合ったゲイの藤田と大西。

千葉:漁港に突如あらわれた田代という若者と、田代を愛してしまった愛子とその父。

沖縄:無人の離島で気ままな暮らしをする田中と、田中に興味深々な辰哉と泉。

 

事情で素性を明かせない男3人大西と、田代と、田中。

その中に殺人犯の山神がまぎれている。

 

「信頼している」「愛している」「味方だ」と口にしながらも、

もしかして、この男が犯人なのでは?という疑念がわく。

疑うことへの罪悪感と、まさか!という気持ちで疑念を打ち消そうとしても、

“殺人”という恐怖に打ち勝てない周囲の人。

 

わたしならどうするかな?

あっ、わたしは“疑い”が生じた時点で気持ちが醒めるから、

罪悪感なしに通報するだろうな。

 

そんなことを想いながら、見終わった。

生存に関する防衛反応だから仕方ないわ。

「愛」は結局、死の恐怖のまえでは無残なんや。

 

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2016年・日本

原作:吉田修一「怒り」(中央公論新社刊)

脚本・監督:李相日

出演:渡辺謙、森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、佐久本宝、ピエール瀧、三浦貴大、高畑充希、原日出子、池脇千鶴、宮﨑あおい、妻夫木聡

製作:映画「怒り」製作委員会

配給:東宝

 

あらすじ(400文字以内):

八王子の住宅地で、凄惨な夫婦殺人事件が発生した。現場には、犯人が逃走前に残したと思われる「怒」の血文字。整形をして逃亡を続ける犯人・山神一也の行方は、1年が経過しても掴めずにいた。

そんな中、千葉、東京、沖縄の3カ所に、それぞれ素性の知れない3人の男が現れる。千葉の漁港で働く洋平・愛子親子の前には田代が。東京のエリートサラリーマン・優馬の前には直人が。そして沖縄の離島に転校してきた女子高生・泉の前には、無人島に住み着く田中が。

彼らは周囲と信頼関係を築き始めるが、警察が公開した新たな指名手配写真は、3人の男たちの誰にも似ていた。愛した人は殺人犯なのか。深まる疑念が、人を信じる心を引き裂いていく。「信じること」の難しさと残酷さを描き、観る者の感情を激しく揺さぶるミステリー群像劇。

 

 

映画「怒り」人物相関図