談春の落語を聴くのは、年末のフェスティバルホールで行われた「玉響」──談春とさだまさしのコラボ以来だった。
久しぶりの談春。
黄土色の着物に羽織をまとい、機嫌よく高座にあがる姿に、胸が高鳴った。
枕で語られたのは、文部科学大臣賞の受賞について。
大衆芸能部門、しかも落語界から一度に二人──談春と喬太郎──が選ばれるのは初めてだったらしい。
でも「落語の内容が褒められたわけではなく、東京と大阪で毎月独演会をしたことが評価された」と、あくまで控えめな姿勢。
「一見、落語で内容だけど、よくよくきくと実に落語らしい」という、よくわからない講評だったと笑いながらこぼす。
そして、
「私には前科があるんじゃないかと噂されていますが、このたび受賞したことで、私に前科がないことが証明されました」と照れながら言ったとき、
その照れと誠実さが入り混じった人柄に、やっぱりこの人のファンでよかったと思った。
前日に大阪の居酒屋に行ったという談春。
4人くらいのサラリーマンが、たわいもない話をしていたらしい。
若手が部長に軽口を叩いたら、部長が「んじゃ、キミ明日からXXに転勤な」と返す。
すかさず若手が「マジ、勘弁してくださいよ〜」と笑う。
そこに何の怒りも、恐れもない。
ただの冗談のキャッチボール。
「最近の東京では、こんな会話、聞かなくなった」と、談春は言った。
コンプライアンスだ、ハラスメントだと言われる時代。
でも、大阪ではまだこの軽さが成立してるのが、うらやましいと。
その流れから、
「万博、大変なことになってますけど」「府長のタコ踊り、見ました?」
と脱線が始まり、トランプがウクライナの原発を買うと発言した件、
それを受けてテレビで橋下徹がした発言、
「大阪の人って、自由ですね」
とオチをつけたときには、会場は爆笑。
「素直に落語をしようと思ってたのに、脱線しましたね」と言って、本題へ。
一本目は「蜘蛛籠」。
談春が演じる酔っ払いは、毎度のことながら最高だった。
理屈をこねて説教する江戸っ子も、かっこいい。
ちりとりを持った茶屋の主人、籠屋をからかう酔狂な男、
そして籠の中に入って、足を出して移動する奇妙な遊び。
談春の語りは、線がのびて、絵ができて、色がついて、立体になり、
音がついて、においがたち、埃さえ舞う。
まるで頭の中に「江戸の街並み」が再生されるような不思議な感覚になる。
わたしの脳みそ、こういうとき、すごく活性化する。
仲入り明けは、鼠色の着物に黒の羽織。
2席目はいつもどおり、マクラなしでそのまま本題へ。
「らくだ」。
屑屋と手斧目の半次の立場の逆転、
らくだの遺体をめぐって繰り広げられる狂気とユーモア。
筋はわかっているのに、毎回ハラハラするのが談春のすごさだ。
だって、全部ひとりで演じてるんだよ。
なのに、「えっ、そんなこと言ったら怒られるって!」とか、
「やばいやばい、またやらかした」と、感情が湧いてくる。
表情も返しも、ちょっとずつ違う。
そこに、“生”の魅力がある。
大家の家までらくだを担がされる屑屋、
その顔のそばに死体がある気持ち悪さ、
らくだの襟首をつかんで踊らせる半次の狂気──
談春の表現力が全部そこにあった。
終盤の酒の場面では、酒が飲めない半次と、酒に飲まれる屑屋の対比。
屑屋のだんだん酔っていく様子、
それを見て、徐々に引いていく半次。
このグラデーションが見事だった。
談春さんって、“破壊と再構築”を繰り返してきた人だと思う。
わたし自身、そういう人間だから、勝手にすごく親近感がある。
そして、談春のマクラを聞くようになってから、
わたしの中で「俯瞰で見る」という視点がはっきり芽生えた。
その視点にはいつも、ちょっとした皮肉と、ちょっとした愛情が混ざっている。
俯瞰と皮肉で、私は今も生きている。
久しぶりの談春は、やっぱりかっこよかった。
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2025年3月22日
@森ノ宮ピロティホール
そういえば、寿司屋で偶然、鶴瓶に会ったという話をしてはった。
もしかしたら、近いうちに鶴の間か、無学に来るかもしれない。
「最近、鶴の間があったんでしょ?」的なことを談春さんが言うてたから。
スケジュールみながら、必死で申し込んでみよう。
鶴瓶さんと話する談春さんなんて、貴重すぎる。
