映画 哀れなるもの けっきょく、現実が正解ってことね | 気むずかしい いろいろ

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そうだ、忘れていた。

久しぶりに映画館で、映画をみたのだった。

 

アカデミー主演女優賞をとったエマ・ストーンのとんでもない演技を見ようと、映画館に行った。

 

エマ・ストーンが演じる奇妙な女性ベラは、

自死して死んだカラダに、お腹の中の子の脳を移植して蘇生した。

カラダが成人女性だからか、脳の成長が著しくはやい。

 

人間は生まれてからゆっくり、規則や、道徳、価値観になじんでいくのだが、

ベラは成長速度がはやいため、多くの人が当たり前に受け入れている縛りに、抵抗する。

首をかしげ、成長と学びを妨げるすべてに抵抗し、軽々と飛び越える。

 

人とはなにか、平等とはなにか、平和とはなにか、人類の幸福とはなにか。

幸せだと思う瞬間、気持ちのいい行為を追求して、日々、まっすぐ生きる。

 

で、あのオチである。

けっきょく人は死に直面したら、殺すか、殺されるかの選択をするのだが、

あれは殺さないことへの回避になったんだろうか。

 

原作者の意図を知りたいところではある。

あれは結局「死」と同類で、ベラが激怒した自分の生立ちのなぞりでもあるのだから、

人間はきれいごとだけでは、生きれないということなのでは。

 

あと、やっぱりお金が重要よね、と。

一周回って、「現実って正解じゃん!」的なことにもなってる気がする。

 

で、結局、なにが言いたかったんだ?的な気持ちになったが、

メッセージ的なものは曖昧で、

オモシロそうな世界(原作)を映像化したかった的な映画なんだろうなと思う。

 

美術や画角はとても美しかったが、

CG風景は、コテコテすぎて逆にグロテスクで、

音楽と効果音には違和感しかなかった。

 

狙っての違和感だろうが、気が削がれたのであれは失敗ちゃうか。

エマ・ストーンの脱ぎっぷりとセックスシーンは大胆だったが、イヤらしさがなくベラっぽさがちゃんと出ていて、あぁ、賞をとるだけあるな、となっとく。

 

異様な目のデカさが、ベラの純粋さにぴったり。

 

 

 

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2024年3月16日

@大阪ステーションシネマ

 

原作:アラスター・グレイ哀れなるものたち

脚本:トニー・マクナマラ

監督:ヨルゴス・ランティモス

出演:エマ・ストーン、マーク・ラファロウィレム・デフォーラミー・ユセフジェロッド・カーマイケル

音楽:イェルスキン・フェンドリックス

衣装:ホリー・ワディントン

ヘアメイク:ナディア・ステイシー

※R-18