映画 ひろしま 戦後約70年、ようやく上映解禁になった映画 | 気むずかしい いろいろ

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広島にうまれ、18年すごした。

小~中学の夏休みの登校日は、8月6日。8時15分に黙祷をして、そこから2時間、原爆教育をうけた9年間。

 

原爆教育といっても、遮光カーテンをしめたうすぐらい体育館に閉じ込められて、投下時の生々しい被害写真のスライドをみたり、被爆者の人の話をきいたりを繰り返すだけ。平和な日本にうまれた幼い子どもたちが、夏のこの日だけ、強制的に怖い思いをする。体験談は怪談話だし、被害写真はスプラッターだし、とにかく怖い思いをしていたのだ。その怖さは、戦争こわい、原爆こわいという本質を通り越して、登校日こわいの印象しかない。

 

大人になり、ようやく意味が見えてきたが、体験談をなにひとつ覚えてないというモッタイナさ。祖母は爆心地から2kmのところで被爆し、実母は原爆投下の3日前に生まれ自宅で被爆した。

 

母には当時の記憶はないが、焼け野原となった広島で子ども時代を過ごしているから、まわりは被爆者だらけだったろうし、当時のことを耳にしたこともあるだろうが、まったく語ろうとしない。

 

祖母も「もう忘れた」と言うて、ひとことも語らず6月に他界した。一片でさえも思い出すのが、たまらなくツライのだと、ボソリとこぼしたのを聞いたことがある。生存者の多くは、祖母のように記憶を封印し、語らず、思い出さず、寿命をまっとうして天にのぼるのだ。

 

 

この映画は、戦後7年後に製作された。広島市民8万8千人のエキストラ・ボランティアにささえられ、製作された。語るのさえ難しいあの悲惨な体験をした人たちが、当時を再現するのだ。原爆投下前の、普通の暮らし。ピカドン直後、すべてを失いどう生き延びたのか、どんな様子だったのか。学校に登校していたこどもたちは、どう生き延びたのか。被爆しボロボロの皮膚で、どう家族をまもったのか。どう家族と再会したのか。

 

9年間原爆教育をうけたのに、まったく想像が及ばない地獄絵図だった。よく演じたなと思う。そして日本は、改めて原爆に反対する映画をつくって、世界に出さなきゃダメだと思う。原子力発電とは切り離して、この愚かな行いを世界中に知らしめないとアカンと思う。特に、ロシアにとどけ!なのだ。中国にも。

 

どうしていつまでも原爆の映画がつくられないのだろうかと考えるが、電力会社とそのしがらみ政治家と、原発反対派の阻みがあってつくられへんのちゃうかと思う。

 

この映画も、製作当時映画館での上映がきまっていたが、直前になりキャンセルがあいついだ。国からも上映を控えるよう指導が入り、ながくお蔵入りになっていたのだ。

 

プーチンがウクライナになにをするか分からないし、中国の習近平だって台湾になにをしでかすか分からない。そんな不安定な世界だからこそ、原爆投下後のヒロシマをリアルに再現した映画が必要ちゃうかと思う。映画で世界がかわるか分からんが、ひとりでも多くの人にみてほしい。

 

各配信会社は、有料コンテンツにせず見放題作品にすべきだわ。

 

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1953年日本

原案:長田新 編纂『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』

脚色:八木保太郎

監督:関川秀雄

出演:岡田英次月丘夢路加藤嘉、8万8千人の広島市民

 

 

▼U-NEXTは見放題。Amazonは有料。

 

 

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