こんにちは。那須のSUDA COFFEEです。
今日の那須の天気は晴れでしたが、一日冷たい風が山から吹いていました。
今日12月4日は東北新幹線の新青森まで開通の日でしたが、強風のためダイヤが乱れていた様です。
 
前回、黒磯~新宿間の特急「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」が12月(3日)で廃止されることを紹介しましたふが、もうひとつ12月で終わるものがありました。
 
ホンダシビック日本国内向け生産終了・・・
 
ホンダを四輪メーカーに押し上げたブランドが日本から消えてしまします。
(海外生産や輸出向け生産は継続するとのこと)
シビックの歴史を簡単に振り返ってみます。
 
1972年に愛嬌のあるダルマぽい形で、FF2BOXスタイルでデビュー。
最初、当時は珍しかった前輪駆動だったので、雪道で前輪が空回りしていたのを見て、子供ながらに具合が悪くなったのを覚えています。(当時のクルマのおもちゃは、みんな後輪駆動だったので違和感を感じた)
1973年の排ガス規制を通すために、副燃焼室を持ったCVCCエンジンも追加されました。
 
1979年からの2代目(通称スーパーシビック)は、1代目とイメージは変わりませんが、派生車としてカントリーといわれたワゴンやスタイリッシュな2ドアクーペボディのプレリュード(これも生産中止となるが)が設定された。
 
1983年の3代目はガラッと変わってワンダーシビックと呼ばれていました。特にカプセルみたいな3ドアハッチバックはカッコよくて、確かグッドデザイン賞やカーオブザイヤーも受賞していたはず。
 
1987年の4代目は、3代目を平べったくした形でグランドシビックと呼ばれていました。この頃からシビックが大きく、豪華になってきたと感じました。
 
1991年の5代目は、スポーツシビックと呼ばれ、バイクでおなじみのVTECエンジンが採用されたり、4ドアセダンには「フェリオ」というサブネームが付けられたりしていた。2度目のカーオブサイヤーを受賞。
 
1995年の6代目は、ミラクルシビックと呼ばれて、3ドアの後席の居住性を良くするために拡大。3度目のカーオウブザイヤーを受賞。
 
2000年の7代目は、通称が無くなり、シビックのアイコンであった3ドアハッチバックの設定がなくなる。シックとしては4度目のカーオブザイヤーを受賞するものの、2001年にフィットが発売されて、日本でシビックが売れなくなる。
 
2005年からの現行(日本最後)のシビックは、とうとう4ドアセダンのみになり、幅が広くなり3ナンバー車になってしましました。全体の印象が薄く、ハイブリットとタイプRの印象しかありません。
 
なんと、シビックとしては4度もカーオブザイヤーを受賞していたんですね。
日本のクルマって、初代のコンセプトから外れて、どんどん大きく豪華になる傾向がある気がします。
これが時代の流れなのか、歴史のある車名がどんどん消えていますね。
(サニー、コロナ、ブルーバード、ローレル・・・・この中で残っているカローラとクラウンはすごい!)
 
ちょっと古いシビックをお店の前を通ったので、こんな思いにふけっています。
 
いろいろな思いにふけることが出来る・・・旅の途中のカフェ。那須SUDA COFFEE