外交の世界の舞台裏が語られる機会は少ないですが、各国に外交官として赴任した大江博氏が外交官人生を振り返っています。

 

「ソウルでの勤務は充実していました。欧米など主要国との方針は通常、本省が決め、現地の大使館に意見を求められることはあまりありませんが、韓国の問題では、韓国国内の反応が政策決定に重要な要素となるため、意見を求められることが良くありました。」と、韓国大使だった時の経験を話していました。

 

在日韓国人3世の法的地位問題や、広島・長崎で被爆した在日韓国人への対応。そして第二次大戦後、サハリンに残され無国籍となった朝鮮人への対応などが主要課題でした。盧泰愚大統領はこの3つが解決すれば、日韓の過去の問題は終わり、との立場を取っていましたから。

 

当時、元慰安婦問題があったとはいえ、両政府の協議対象にはなっていませんでした。協議対象になると、元慰安婦が自身の身元を多くの人々に知られることになり、嫌ったためです。でも、その後にこの問題が両国間の大きな問題になりました。日本国内では韓国大統領の約束にも関わらず、この問題を扱うと、他の問題が次から次へと出てくると懸念する人もいました。

 

韓国は88年のソウル五輪を成功させて自信を持ち始め、冷戦崩壊に伴い、ロシアや東欧諸国との外交関係も広げていきました。ソウルでは、ソ連の指導者にちなみ「ゴルバチョフ」という名のレストランも登場するほどで、韓国国民の意識は確実に、世界に向いていきました。

 

それまで韓国の世界史の教科書には、日本の記述が3分の1から半分ほどもありましたが、日本の世界史の教科書で扱う韓国の歴史は数%しかありません。この不均衡が、日本への屈折した感情の源にあると思いました。

 

韓国で日本の歌謡曲が表向き禁止対象だったにも関わらず、カラオケ店に行くと、人々が日本の歌ばかり歌うのを見ました。また、若者向けの雑誌の表紙は、日本のどの雑誌をコピーしているか分かるほど瓜二つでした。韓国を去る時、私物を業者に売った際、「これは日本製です」と言うと、業者は高い価格で買ってくれました。

 

〝反日〟の記事が新聞に掲載されたとき、執筆した記者に会い、正しい事実関係を説明し理解を得るようにしていました。ところが韓国では、記者に説明すると、「(事実は)分かっている」というのです。どの記者も同じで、その理由は「事実に基づいた記事を書いても、編集長からOKが出ない。編集長がOKしても、記事になった翌日、世論の袋叩きになる」と言うのです。〝作られた反日〟があることを知りました。

 

また、高齢の韓国人より、偏った教科書を通じてしか日本を知らない若い人たちの方が、反日意識の強い割合が多いと感じました。いまだに反日を前面に押し出した方が選挙で票を取れる現実があります。ただ、韓国人は自信を持ち始め、日本に旅行に来る人が多くなるにつれ、対日意識も変わってきています。韓国から旅行で日本に来た人たちはほとんどの場合、対日印象が良くなります。

 

このような実態について、ある程度は多くの日本人も判っていますが、ことあるごとに国を挙げて(?)世界に向けて「うそ」を広めようとすることには我慢できません。また、親日大統領が誕生してもほとんど関係改善には繋がりませんね。教科書に事実を書くことから始めなければ、日韓関係をよくすることはできないでしょうね。厄介な国であることは間違いなさそうです。