選挙直前に性格が違う2つの政党が、双方の支援組織に期待して新党を作ったことが最大の敗北の原因になったと思います。選挙直前にほとんど準備ができていないにも関わらず、新党立ち上げというのは流石に無理があったと思います。将来合体することを目指して選挙協力体制を構築するところで終わらせておけば良かったのではないかと思うのです。
選挙が始まると、まず国民から非難を浴びたのは、辺野古問題をどうするのかということだったと思いますが、当時の安住幹事長は選挙後に結論を出すと言いましたね。さすがにこれでは選挙戦は戦えません。政策が判らないけど、我々を信用してくれということですから。
さすがに、懸命な有権者が疑問を持つのは当然です。我々を信用してくれ、立候補者に一任してくれでは票は集まりません。選挙直前に選挙対策だけでできた新党で勝てるはずが有りません。あまりにも有権者を馬鹿にしていたと言えるでしょうね。
これが、選挙後に新党を立ち上げるのであれば、政策が違っても新党を立ち上げ時に話し合って決めると言えましたから。勿論、国民にとってそんなバカな話は無いですが、一つの言い訳にはなったかも知れません。
選挙が終わっても、新党としての政策を纏めることができません。検討さえしているとは思えない状況で、党内が一致しているようには見えませんでした。落選議員をどうするのか、地方組織と地方議員との関係はどうしていくのかといった、党内の課題ばかりです。
更に、開会中の国会では、減税などの選挙時の公約を無視して反対に回り、新年度予算の期日内成立を阻止し、高市首相への対抗のために、週刊誌記事を持ち出して国会審議の邪魔をする。
元々主張が大きく異なる政党の議員たちですから、政党として一番大切な政策論争などできないし纏まるはずが無い。特に参院立民とは話し合いに入ることすらできない状況だったと思います。これが解党後の帰る家を失うことになったと思いますね。選挙前に新党を立ち上げず、選挙協力にとどめておけば、少なくとも帰る家は失わずに済んだのです。
また、選挙後であれば、石破や岩屋、村上という自民党内の異分子を引き抜く時間的余裕もできたかもしれませんね。さすがに49人という大惨敗だと、他党から来る議員は居ないですからね。これでは消えるしか無かったでしょうね。