民主主義では国民から選ばれた人が政治をつかさどるのだから、とんでもない政治家が出てくる責任の一端は有権者にあるという主張は、よく耳にするし、私もそういう思いがあったし、その通りかも知れません。しかし、今の東京都知事選挙や先月の東京15区衆院補選を見ていれば、本当に有権者の責任なのかと思わざるを得ません。また、これは東京という日本の首都の特殊な出来事なのでしょうか。

 

ジャーナリストの長谷川幸洋氏は、今回の首都決戦を「日本政治の劣化を象徴する」「その責任は、政治家と官僚、マスコミ、大企業にある」などと述べていました。今回の都知事選には、現職の小池氏に、蓮舫氏、石丸氏、田母神氏らが中心の選挙戦のようですが、これらの候補者が当選すれば、都政だけではなく、停滞した国政を良い方向に向かわせるような力があるのでしょうか。日本政治は膿を出し切って、復活することができるのでしょうか。

 

「学歴問題」がくすぶり続けている小池氏は、公約発表の記者会見をオンラインにして、「保育料無償化」や「返済不要の大学奨学金」などバラマキ政策を並べ、わずか5人の記者の質問に答えただけでした。蓮舫氏も、「二重国籍」問題がぶり返しているうえ、選挙の事前運動が指摘されています。公約では、「明治神宮外苑の再開発を見直す」と明言しましたが、小池氏が初当選した時の豊洲問題の悪夢が繰り返されないのでしょうか。

 

そして、衆院東京15区補選で前代未聞の選挙妨害を繰り返して逮捕された政治団体の代表は、獄中から立候補です。寄付と引き換えに、選挙のポスター掲示板を自由に使わせる政党も登場しました。こんなことが本当に許されるのでしょうか。ところが、法的には問題ないということですから、呆れてしまいます。

 

長谷川幸洋氏は「政治家と官僚、マスコミ、大企業を中心とした経済界に大きな責任がある」とし、彼らは国民を真実から遠ざけ、持ちつ持たれつの関係を築いて、互いに自分たちの利益を貪ってきたと指摘しています。また、政治が、国民の願いや疑問に答えないまま「きれいごと」や「建前」に終始しているうちに、いつの間にか、世間の常識や実生活から離れて「嘘でもデタラメでも、法律に触れなければ、なんでもOK」という、「異様なパラレルワールド」が繰り広げられる世界になってしまったと述べています。

 

同じような現象は、欧米でも進行中で、トランプ前米大統領は一握りの政官財界勢力を、米国を動かす「ディープ・ステート」と非難して大統領選を戦っていますし、わずか44日の超短命政権に終わった英国のトラス前首相は「行政国家に倒された」と述懐しています。

 

政治学者の岩田温氏は、「偉大なる政治家の条件は必ずしも政策に明るいことではなく、全ての分野の政策に通暁することは不可能なので、官僚、学者といった専門家にはかなわない。だから、政治家にとって、専門家をうまく使いこなすことが重要であり、専門家に使われるのではなく、使いこなすのであって、この際に重要になってくるのが大局観である」と述べています。

 

高橋洋一氏は、安倍さんからよく電話を貰ったと話していますが、自分の信頼する専門家の意見を聞くことが多かった安倍さんは、周辺の専門家の知識を自分のものにしていた首相だったと思います。だから政策が素晴らしく、また自信をもって遂行できたのでしょう。

 

国家の現状を把握し、進むべき指針を示すこと。可能な限り国民を説得し、時に国民の反対を押し切ってでも、自らの理念を実現すること。これらができなければ、偉大なる政治家とは呼べません。しかし、当然のことですが、政治は結果責任でもあります。理念を掲げるのは正しくとも、結果が全てなのです。

 

そういう意味でも、安倍晋三という政治家はその名を歴史に刻まれるべき偉大な政治家だったと思います。限定的ではありましたが、野党や左派によるあれだけの反対を押し切って、集団的自衛権の行使を可能にしたのは安倍さんの偉業です。今の日本の周辺国の状況を見れば、その重要性が判ると思います。

 

激動する国際情勢の中、日本の真の課題とは何かを見つめ、その解決に向けて果敢に挑戦するような政治家は、今の政界には見当たりません。今は、日本の政治が「見るも無残な状態」と言えそうですが、安倍さんのような、力があり、真に国民のことを考えている政治家の登場を待つしか無いのでしょうか。これで、政治の責任は有権者にも責任があるなんて言われたく無いですね。