『自由で開かれたインド太平洋』という概念が、日本外交のから消えてしまったということを知っていますか?。この言葉は、言わずと知れた、安倍外交の真髄のような言葉だと思っていましたが。誰かが宣言して消したのではなく、岸田首相や林前外相、上川外相らが言わなくなって、ロウソクの火が消えるごとく隠微に消えたのです。

 

代わって最近では、中身はまるで異なるけれども語感の近い言葉が流通しています。「自由で開かれた」と、枕詞は同じですか、「インド太平洋」に代えて「国際秩序」と言うのが岸田政権流なのです。今年1月の国会における林氏の外交演説などに用例がありますが、今や首相の国会演説などでも「自由で開かれたインド太平洋」の言葉は消えてしまいました。

 

このことを知って、国会などでの岸田政権の発言に注目すると、なるほど「自由で開かれた『国際秩序』」と言っていますね。「自由で開かれたインド太平洋」という言葉を聞き慣れていましたから、これまでは気づかなかったのかも知れません。勿論、マスコミは伝えませんからね。

 

安倍元首相が打ち出し、米国はじめ海洋民主主義国の多くが喜んで唱和した「自由で開かれたインド太平洋」は、英語表記の頭文字でFOIPと呼ばれるのが常です。「国際秩序」(インターナショナル・オーダー)なら「FOIO」となるのですが、こんな表記は見たことがなく、日本だけでしか使われていないのです。

 

また、「インド太平洋」という用語で、インド洋と太平洋を結合し政治経済・軍事的働きかけの対象としたのは、安倍氏が初めてです。それ以前多く言われた「アジア太平洋」だと、成長著しいインドを取り込めず、中国と米国の2大国に目が行きすぎる。安倍氏がインド洋を名称に入れたのは、インドの民主主義的成長に日本の未来を託した投資行為でした。その戦略眼が、ワシントンやインド政府筋で評価を集めたのです。

 

空間を政治的に把握する概念道具を日本が創り、世界に与えた事跡として歴史に名を刻んだはずだったのに、本家はもう看板を下ろし、そのことに米国やインドはまだ気づいていないようです。インドと海洋空間に当てたシャープな焦点が消えると、用語はあたかも特別な専用品から、ありきたりの汎用品になってしまうのです。「インド太平洋」と「国際秩序」は全く違う概念です。

 

遠く離れたウクライナでも論じるなら有用かもしれませんが、北京にとっては大変ありがたいことでしょう。中国を牽制するのが安倍元首相の動機だったはずにも関わらず、中国が頼みもしないのに岸田首相がこの表現を引き下げてしまったのです。

 

米国が旗を振り、中国には種々の制裁が加わっていますが、岸田首相は、中国から頼まれもしないのに「インド太平洋」という言葉を「国際秩序」などという訳の分からない言葉に置き換えてしまったのです。中国は岸田流用語には両手を挙げて賛成でしょうね。これは岸田氏から北京へのひそやかなサインなのかも知れませんが、中国から見返りなど有るはずも無いのですが。

 

こんな用語の変更を官吏が独断でしたとは想像しにくく、安倍カラーを消したい意欲が岸田首相において強いのだと推測したくなりますが、さもしい話ですね。そして、『自由で開かれた国際秩序』という言葉って意味が解りませんね。勿論、岸田政権からその言葉の意味など聞いたことがありません。