岸田首相(自民党総裁)は、自民党大会の演説の冒頭で派閥パーティー収入不記載事件に関し謝罪した後、「政治刷新 車座対話」をスタートさせると表明しました。首相や党幹部が全国各地を訪ね、党員らの声を聞く。「今の自民党が忘れた原点」を取り戻そうという取り組みなのだそうです。

 

旧民主党政権下の平成22(2010)年2月、当時野党だった自民党の森喜朗元首相を乗せた車はJR長野駅を出発し、雪に覆われた山間の道をどんどん進みました。こんな山奥に集落があるのだろうかという印象を抱く過疎地域だったそうです。

 

これは、どん底に落ちた自民党が始めた「ふるさと対話集会」の会場の一つで、森氏は息を切らしながら3階まで階段で上がると、「俺はどこにでも行くが、エレベーターのない会場は2階までにしてくれ。息が切れる」とぼやいたとのこと。

 

畳敷きの広間には20人足らずの住民がいましたが、83歳の男性は「森(元)総理が来るというチラシを見たが、当日になったら『森総理は急用があり出席がかないませんでした』という話になるのだろうと思いながら今日ここに来た。だが今、私の目の前におられるのは間違いなく森総理だ。自民党がそこまで謙虚になって私たちの意見を聞いてくれるなら、私ももう一度、自民党に懸けるからがんばってほしい」と発言したそうです。

 

ふるさと対話集会は、当時の谷垣禎一総裁や首相経験者といった有力議員が地方に足を運び、少人数の車座形式で生の声を聞く試みで、麻生太郎元首相も奈良県最南端の十津川村などを訪ね、小さな集まりに出席しました。そうした姿勢は、自民党に愛想が尽きかけていた支持者の心に響いたと、当時運営を担当する中堅議員だった森山氏が話しています。

 

今回の党大会前日の今月16日、自民党本部で開いた全国幹事長会議は、不記載事件に関する党本部の対応に対し、都道府県連の幹部から苦情が相次ぎました。「『生まれ変わる』などきれいな言葉を並べても、誰もけじめをつけていない」「党本部は地方の厳しさをわかっていない」「なぜ全国幹事長会議をもっと早く開き、地方の声を聞かなかったのか。話し合いが必要だ」と。

 

そして、岸田首相は翌日の党大会で「政治刷新 車座対話」を打ち出し、「全国の同志に『自民党とともに歩んで間違いなかった』『自民党を支えてきてよかった』と言っていただけるよう、必ず立て直す」と発言しています。

 

野党が弱く、「1強」状態が続いた近年の自民党には「地域の声が届いていない」という不満が渦巻き、それが議員の「緩み」につながっているのではないかとの指摘も多く、24(2012)年12月に政権を奪還した後の自民党について、党重鎮の一人は「今の若手は野党を経験していない。(第2次)安倍政権以降、あまり地域を回らずに自民党の名前で当選してきた議員も多い」と話しています。

 

野党時代に始めたふるさと対話集会も、令和2(2020)年10月に1000回目を迎えたものの、政権復帰後は首相や首相経験者が地方に足を運ぶ機会は激減し、開催ペースも鈍ったのです。自民党が「そこまで謙虚に意見を聞いてくれるなら、もう一度自民党にかける」という14年前の言葉を取り戻せなければ、次期衆院選で再び野党に陥落するかもしれませんね。