パリからの小旅行:リスボン(2) | オトコのパリ事情。毎週更新!を目指してます。

パリからの小旅行:リスボン(2)

リスボンがいちばん輝いていたのは、

やはりポルトガルの大航海時代。

 

今では静かな小国のポルトガルが、

なぜ、あの頃強大な大航海時代を築いたのか。

それには訳がありそうです。

 

立役者は、その名もまさに「エンリケ航海王子」と呼ばれる

1400年代のポルトガル王国の王子さま。

 

リスボンの西、ベレン地区にある『発見のモニュメント』の先頭にいるのがエンリケ航海王子

 

 

 

おぼろげに頭の中にある世界史の言葉をつなげていくと、

そのおおまかな歴史がわかります。

 

「ゲルマン民族の大移動」を経て生まれた「西ゴート王国」が、

現在スペインとポルトガルのあるイベリア半島にあって、

キリスト教カトリックを国教にしていましたが、

610年頃にイスラム教が生まれると、イスラム国家が急速に勢力を西へとのばし、

710年頃、つまり奈良時代頃にイスラム系のウマイヤ朝がこのエリアを征服します。

 

その失なわれた地を取り戻そうとキリスト教国が動いたのが

「レコンキスタ(国土回復運動)」でした。

 

長い時間の行きつ戻りつを繰り返しつつ、

1139年にキリスト教系の「ポルトガル王国」が誕生。

1200年代くらいにはキリスト教の「十字軍」の勢力も加わって

レコンキスタが本格化し、

最後は1492年の「グラナダ陥落」でイスラム勢力を追放し、

イベリア半島全体がカトリック勢力下になります。

この十字軍の中で大きな役割を果たした「テンプル騎士団」

その後継となった「キリスト騎士団」の1400年代における団長が、

実はこのエンリケ航海王子だったのです。

 

十字軍や騎士団の活動は、キリスト教の領土を守るという目的があったので、

他の国や貴族などからたくさんのお金が集まって、

キリスト騎士団には莫大な資産があったといいます。

 

エンリケ航海王子は、これを資金源にして、探検事業に乗り出します。

ヨーロッパではイスラム商人やベネチア商人などから

東洋の金や香辛料を手に入れていましたが、

もし海から別の航路で運べればさらに富を得られると、

勇敢なポルトガル人たちが航路開拓に乗り込んでいったわけです。

もちろん、カトリックの布教も大きなミッションです。

 

 

エンリケ航海王子は、その口火を切って冒険者たちを支えたポルトガルの偉人。

その流れを汲んだ最大の冒険家が、ヴァスコ・ダ・ガマ

ご存じの通り、彼はインド航路を開拓してインド支配を構築。

ポルトガルの黄金時代がはじまるのです。

 

 

ポルトガルとスペインは競争でアジアの開拓に乗り出し、

1541年にポルトガル船がはじめて

日本の豊後(今の大分)に到達しました。

 

 

パリ、モンマルトルの丘で

「イエズス会」という、真面目すぎるカトリック精鋭部隊を創設した

フランシスコ・ザビエルは、ここリスボンからまずはインドのゴアに移り、

そこからさらに東へ向かい、1549年日本にキリスト教を伝えるのです。

 

 

 

さて、前置きがちょっと長くなりましたが、

リスボンには、こうして生まれた大航海時代のモニュメントがずらり。

 

リスボン中心部からトラム15番に乗って、「ベレン」と呼ばれる歴史地区へ。

 

Belem-Jeronimosの停車場でトラムを降りて、

まずはエンリケ航海王子の偉業を称えたジェロニモス修道院へ。

 

 

細やかな装飾の外観があまりに美しいので、一気に盛り上がります。

それが、中に入ろうとすると10ユーロの入場料がかかるので、

あきらめる人もいるのですが、それはあまりに残念。

 

 

だってここは、中も凄いんです。

 

1502年、大航海時代の莫大な富が潤した絶頂期の

ポルトガル国王マヌエル1世が建設に着手。

なんと300年もかけて造った修道院。

 

フランスで見る修道院とはまったく違うスタイル。

植物や動物、海にちなんだ珊瑚や海藻、貝などの文様にびっしりと包まれた

回廊の装飾が見事です。柱は一本一本モチーフが違うという念の入れよう。

 

マヌエル様式の最高傑作と称されるこの修道院は、

1983年、世界遺産に登録されました。

 

 

ここに併設された教会も壮観。

 

 

写真で表現しきれないのが残念ですが、

スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリアを思い起こさせる

上方にのびて天井で広がる巨大な柱。

同じキリスト教でも、その世界観というのは地域によって

大きく違うものだと知らされます。

 

そしてリスボンの彫刻の特徴はもうひとつ。

 

大丈夫ですか?と声をかけたくなるような、

トボけた顔の動物や人が多いのです。

まるで「ゆるキャラ」の元祖。

 

 

 

ずっと見ていたくなる修道院をあとにして、水際の史跡へ。

 

先ほどのエンリケ航海王子がいた「発見のモニュメント」もここ。

 

 

大航海時代を支えた30人の彫像が連なります。

王子のほか、ヴァスコ・ダ・ガマやフランシスコ・ザビエルもここに。

 

モニュメントの脇の石畳には世界地図が描かれ、

ポルトガル人たちが辿りついた地が年号とともに記されています。

 

 

 

夏のような陽射しの中をさらに歩くと、

ジェロニモス修道院と共に世界遺産に登録されている

「ベレンの塔」があります。

 

テージョ川を出入りする船を見つめた監視塔。

司馬遼太郎が「テージョの公女」と呼んだ、美しい建築です。

 

 

ここまで来ると、大西洋はもうすぐ。

船乗り達は、星空以外に指標のない大海原へと乗り出していったのです。

 

 

さて、このベレン歴史地区から発祥し、

リスボンの名物になったお菓子があります。

 

もともとはジェロニモス修道院で作られていたらしいのですが、

今では「Pasteis de Belem パステイス・ド・ベレン」

がその伝統を受け継ぐ本家のパティスリー。1837年開業の老舗です。

 

多くの女性が並んでも買いたい名物はこれ!

 

エッグタルトの原型といわれる「ナタ」

ただの焼き菓子とあなどることなかれ。

ここのエッグタルトはハンパなく美味しいです。

 

休憩もかねて来た我々は、

奥にたっぷりとあるテーブル席でナタを食したあと、

勢いあまって思わず「おかわり」

 

リスボンの中心部でもいくつかナタ屋があって、いろいろ試しましたが、

ここはクリームの味のレベルと表面の焼き具合が違います。

 

 

歴史と味を探訪して、すっかり満足のベレン地区。

夕暮れのリスボン中心部を見ようと帰路へ。

 

まるで迷路のようなアルファマ地区、

時々、思いがけず、海へとひらけた美しい景観に出会えます。

 

次回はヨーロッパ最西端のロカ岬へ向かいます。

 

 

 

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