7月例会
今日も暑い一日でした。
それでも終了後葛飾を出た頃はやや涼しくなったかなと?と喜んだのもつかの間。
都心に出たら、まぁ、もわっと暑いこと。コンクリート、人混み、立ち並ぶビル。
私たちが生きるために必要な空

も空気も水

もすべて自然界のものなのに、
街のすべてが人工的で、私たちは自然の恩恵を無視して文明を築いたのだと改めて感じました。
さて、7月の定例会。
子ども2人、大人5人。今日はこじんまりとした感じでした。子どもはやはりかわいい


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今日は話題は就学。
子どもの就学先をどうするのか?
普通学級?支援学級?
選択肢はどれだけあるのか?
教育現場はどれだけ子どもを受け入れてくれるのか?
家族側のすべき準備は?
自分たちの子どもに合った教育をアドバイスしてくれる機関はないのか?
解決は出来ませんでしたが、みんなで考える機会となりました。
自分の経験からだと、その子ども達にとってまだこの世に誕生して数年で「障害」というスティグマ(烙印)の文字ですべてひとくくりにされて特別支援の学校に入り、だからといって、その子にあった適切な教育

を受けられないまま18歳で社会に出され、普通学級では当たり前に受けられるべき義務教育を受けられなかったという子どもと親の苦悩は深いものです。
四則計算や漢字、アルファベットの読み方などは、教育を受けられなかった場合、当然、18才になっても出来ないのです。だから18歳を過ぎたら、親か自分で学べる場所を探して、学ぶしかないのです。もしくは、広告の表記や本などのちまたにありふれた活字を読めないまま、買い物などに必要な計算を出来ないまま生活をしなければいけないのです

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「不登校」もしかりです。
教育

を受ける機会を得られなくなるのです。教育を受けられないと、大人になって生活することが大変なのです。
それほど「就学」「教育」は、子どもにとって重大なのです

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だから、これは自分に対する戒めでもあるのですが、
子どもの障害や人生に関わる立場にある人達は、もっともっと子どもの可能性を考えた支援を探究してほしいのです。
もし障害の有無で教育を分けるのであれば、もっともっと子どもが子どもらしく平等に教育を受けられ、大人になって社会で生活できるように専門家としての技術を高めてほしいのです。
もう1点、教育制度について考えることなのですが、障害のない子もある子も義務教育は15歳までというふうに分ける必要はないと思います。
いまの教育制度は、なぜだか、15歳までは厳密で、その先は本人や親任せ。
たとえば、18歳までは普通に育っても、浪人したり、大学留年したり、卒業しても働けなかったり・・・みんなが同じ年齢で行動しているわけではないのです。
だったら、その子にあった修学期間を設定してくれても良いのではないでしょうか。
高校を卒業して行き場のない子ども達はたくさんいます。
もし社会が子ども達を支えられていれば本来は医療を受ける必要のない子どもたちが、医療を受けなければならない場合もあるのです。
日本は子どもが少ないのですし、まだまだ子ども達


のために、医療も教育も心理も福祉も、やれることはたくさんあると思います。専門職が技術を探究し、視点を少し変えるだけで、周囲の環境は変わるのだと思います。
そのために、日々精進せねば

・・・
今日はそんなことを強く感じた一日でした
