トリクルダウン理論というものがあります。
Wikipediaによると、
「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」
ということのようです。

主に小さな政府政策の推進、新自由主義政策などの中で主張されるらしいです。

新自由主義政策の帰結として、トリクルダウンがあることは
僕にはよくわかりませんが(だれか知ってたら教えてほしい)、
トリクルダウンの成立条件は中間層が多くいることであると思います。
というか、収入ピラミッドがきちんと成立していることであると思います。

なぜか。
これは、製品の研究開発から量産までの流れを考えると
一部説明できます。

研究開発をして、新しい製品を作るとコストがかかります。
そのため、新しい製品は、研究開発分のコストを回収するために、
価格が高く設定されます。

そのため、新製品を買うことの出来る層は、
富裕層が多くなります。

富裕層が買うことによって、
すこし量産することが出来ます。

すこし量産することが出来ると、
すこし価格を下げることができます。

すると、もう少しお金を持っていない人も買うことが出来ます。
すると、その数が増えます。(年収分布がべき分布なので)

あとは、これの繰り返しです。

上記の説明で不足しているのは、
1、富裕層だけでコスト回収ができるかは不明
2、実際には少しずつ量産するわけではないので、層のとびがある
3、供給ベースなので、循環構造に至っておらず、成長の一面を切り取っているに過ぎない。
といったことがあげられます。

しかし、それを考慮しても
中間層がいることで、
2の量産に踏み切るハードルが下がる
と考えられます。

ただし、IT革命により物作りの時代が変化しているので、
必ずしも上記のみでは説明しきれないのが現状です。

また、3を考慮するとこれが当てはまるかはわかりません。
加えて、貧しい人も絶対値として豊にはなりますが、
相対値としては、なにも変化しません。

http://jp.techcrunch.com/2014/07/08/20140706google-co-founders-talk-long-term-innovation-making-big-bets-and-more-in-fireside-chat-with-vinod-khosla/

この記事の一節に、ラリー・ペイジはこんなことを言っている。

人々が文化的な生活を送るために必要な労働資源は実はごく少ない。必要を満たすために全員が猛烈に働かなければならないというのは思い込みにすぎない。もちろんそこには社会的な問題―多くの人々はすることがないと満足できないという問題がある。そのために不必要な活動が膨大に行われ、地球環境が破壊されている。

つぎに到来する社会において、
・人工知能やロボットによる労働からの解放
・環境問題解決を通じた、物質循環社会
・この2つの技術的問題解決による、個人の幸福の到来
があることは、時代の流れであろう。

そのとき、障害となっているのは、私たちの思い込みで、
仕事がないとやることがないという不安が
次の社会への障壁になっているのかもしれない。

しかし、それは本当にやりたいこと、本当に追及したいことを
行うことの出来る空間であり、個人の幸福と全体の幸福が
調和をもって存在する、世界でありうる。

仕事を作れるひとは、やりたいことを作れる人であるのだろう。
西部進はよく、
「ヒューマニズムが吹き荒れている」
と言っています。

まず、ヒューマニズムとは何でしょうか。
大辞泉によると以下のようになっています。
人間中心,人間尊重を基調とする思想態度。「人間」の捉(とら)え方により種々の形態がある。
①古典的教養に人間像を求め,これを志向する思想・運動。
㋐「 人文主義 」に同じ。
㋑一八~一九世紀ドイツの,シュトゥルム-ウント-ドラングに始まる諸文化。人間の教養,調和的自己発展を説く。
②西欧近代の人間中心主義。
㋐一七~一八世紀英・仏の普遍的人間の理念に基づいて市民革命を理論づけた思想。
㋑資本主義の疎外からの人間解放を求めるマルクス主義的ヒューマニズム。
③「 人道主義 」に同じ。
色々あるようですね。

これは、そもそも「人間をどう捉えるか」によって変化するため、上記のような分類が行われているのでしょう。

さて、ここで考えたいのは、あくまでこれらが「人間中心」であるということです。
西部進が「ヒューマニズムが吹き荒れている」という状態は、
経済において最もよくあらわれています。

サービス産業がほとんどの割合を占めるようになり、
「人の感じ方」というものに価値の比重が大きく移るように
なっているのではないでしょか。

衣食住が足りるということで、大きな出費をすることが出来るでしょうか。
そんなことはないです。
しかし、GDPの向上が指向されます。これは、価値があると人が感じ、
交換を行っていることを示唆しています。
(GDPの成長は交換の増加を示唆しています。)

そのため、価値の源泉は人になります。
これはとりもなおさず、人が中心にあることを意味します。

さて、人が中心になる場合、上記までの記述は
「現在の人」になります。

これに、抑制をかけるのが、「保守」ではないかと思います。
この保守は、簡単に言えば「先祖崇拝」であり、
もっとも自然な宗教の形であるとも思っています。

要するに、父、母に感謝する。
その延長に先祖に感謝する。
ということです。

このとき、脈々と受け継がれてきた伝統、常識
といったものを尊重します。

勿論これも「人間中心」ではありますが、
保守によって、ある程度の時間的な長さが
価値に織り込まれるわけです。

(勿論、文化は更新されていくものですから、
全て保守が良いわけではないですが。)

最近の経済学では、ファスト&スロウという2分類がある
と聞きましたが、このへんと絡みそうですね。