トリクルダウンや知識について主に考察をしたが、ここで、資本と技術の関係について考える。

DARPAとDODの組み合わせが示すように、科学技術は安定した投資主体がいると実用化される。

科学レベルの体系的知識は、つねに大学において行われる。これは、多くの人が関わるよりも、限られた人が知識について承認しあっていた方が、知識として安定するとともに、効率が良いからである。また、そのようなレベルのひと=博士取得者が少ないことにも要因がある。
さらに、知識自体は公共財であり、これが広がった方が社会的便益が大きい。そのため、国がこの事業を担う。

科学技術となると様相が変わる。実際にモノ等を作るためには、体系的知識のみならず、人間の直観や生産体制等多様な要素が必要となる。そのため、多くの人が協業して行った方がよい。
さらに、人間の性として、何かしらのインセンティブを設けて、生産した方が改善効率等が上がる。そのため、知識の共有的性質よりも、企業という私有財産と市場の論理の方が有効になる。それには、以下の点があげられる。

1、だれかのなにかしらの満足度を向上させるという行為と結びつくため、市場的であった方が、よりよい財を提供できる主体がわかりやすい。
2、多くの人にとってのインセンティブとなる。

しかし、知識は公共財で限界費用が0であるため、法的に利益が保護されなければ企業は行わない。そのため、知的財産権が存在する。

さて、新しい科学技術を企業が担う場合、それが確実に売れるとなった場合、企業はその分野に資本投下する確率が上がり、額も上がる。技術進歩は、日々の改善によって行われていくことが多い。また、ある程度の金額が必要である。これは、アイディアを製品として固めるまでの知識探査と量産化可能なレベルまで価格を下げる必要があるからである。

よって、確実に売れるとなった場合には、製品化可能である。そして、製品化されるとマーケットが誕生し、需要が増えれば、量産化され、価格が下がる。

そのため、安定した投資主体がひつようである。

すこしまとまりに欠くなぁ。
経済学にトリクルダウンという言葉がある。

簡単に言うと
「お金持ちがより金持ちになるとその周りの人もだんだん豊かになる」
というものである。

貨幣で標記される価値は相対価値によって定められると私は考えているので、すべての対象についてトリクルダウンが成立するとは言えない。

一方で、知識においてはトリクルダウンが成立していると考えている。そして、これこそが市場経済の最大の効用であると考えている。

「儲かる」という現象を考えると、「他の人がやっておらず、かつ有用性があると多くの人が認識するサービスの提供」であると考えられる。(サービスは、農業やモノづくりも含む広義なものとする。)

さて、一般に多くの人を動員する際には、「説得」という行為が必要である。しかし、前提認識を共有していない人に対する説得は困難なものである。

一方で、「儲かる」という現象は、現前と現れる。儲かるならば、他者が模倣しようとする。これによって、「儲かる」行為に説得することなく人を誘導できる。この過程で、知識が普及する。これが知識が取りくるダウンするという意味である。また、そのうちこの知識は常識化する。(ここでは、常識の慣習、文化的な側面を除いており、みんな知っているという意味での「常識」である。)

以上により、社会全体ではより効率的に知識の普及が達成される。

知識が増えることによって、経済は成長する。それは、経済成長は交換速度の速さと交換の深さに依存しているからである。後者はアダムスミスが述べるとおり、「市場の深さは分業の深さに依存する」ということになる。また、期中の交換速度が早ければ早いほど、また交換が起こる対象が多いほど、経済は成長する。

知識の増加は分業をもたらし、「儲かる知識」には効率化をもたらす。

かくして、市場経済は経済成長をもたらす。

これをもたらす最大の要因は「消費者」主導であるということである。
これが富が遍在したときにどうなるかという点については、不明である。

逆に、この循環がうまく生き続けるのであれば、そのシステムの健全性がわかるのである。
官僚の限界は法律です。

所掌範囲が決められているので、それを破るのはある意味法律違反でしょう。

また、だからこそ縄張り争いが起こるのでしょう。

この限定性は無制限の権力の行使を防止しますが、
一方で、問題解決の範囲を限定します。

もちろん、総合的な問題解決自体は議会に付託されているので、
官僚がやるべきではないのでしょう。

一方、20年間システムの再構築が問題になっているので、
官僚の問題解決には限界が出てきます。

議会、また政治そして国民で考えることなのでしょう。