3年前に大学院生だった頃、タイに調査に出掛ける機会があった。
その時に訪れたタイの山村から大きなメッセージをもらった。
その山村で目にした光景は、
日本で現代科学の粋の中で送る生活とは全く違っていた。
村にはテレビ、車、バイクがそれぞれ一台ずつ。
犬や豚、鶏が放し飼いにされ、住民と一緒に暮らしている。
僕が最も印象的だったものは、
ベーゴマで遊ぶ子どもたちの笑顔と
それを見守る村の大人たちの笑顔。
その笑顔は日本で生活していたらなかなか見られない程のものだった。
屈託のない笑顔と咽かで豊かな自然。
何でも手に入って便利な日本の暮らしの中で忘れてるものが
そこあったような気がして、
「一体幸せって何だろう」という問いをもらった。
そこで僕が思ったのは、
タイの生活が幸せそうで羨ましく映ったのは、
日本での生活が日常化させてるからだから、ということ。
つまり、日本の生活にないものをみたから幸せそうに見えたということ。
逆に村人の立場からは、
もっといろいろが便利で教育もしっかり受けられる先進国での生活が
幸せに見えるかもしれないと思ったし、
事実、山村での暮らしは厳しいと行っている村人もいた。
そうなると、幸せはとても相対的なものになってしまって、
一体何が幸せなのか、わからなくなった。
ただ一つ僕の中に残ったのは、
「日本人だからこそできることが必ずあるはず」ということ。
途上国の国々でもなく、他の先進国でもなく、
「日本」という国に生まれた人間だからこそできること。
僕はタイでの経験を通して、
日本人であることから逃げずに
「今の時代を生きる日本人としてできること、やるべきこと」
を追い求めることになった。
