数学者が伝えたい「ヨセフスの問題」平間達也 | 数学者「平間達也」の偉大な数学とちっぽけな己

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数学者平間達也ローマ

 

 

 


昨今、カイジやLIAR GAMEのような奇抜なゲームを通しての物語や、果ては負ければ即死に繋がるデスゲーム系の物語に至るまで、ゲームによって多くの死や社会的死を描くストーリーが人気を博している。

正直、最初は私も面白く拝見していたが、ここまで乱立してくるといかんせん食傷気味である。

まぁ、このような物語は所詮フィクション、現実には起こらないよ、と娯楽としてハラハラしながら見ている方が大半だと思うが、実は現実にもこのようなデスゲームは存在していたかもしれない。

明確に言いきれないのが申し訳ないが、2000年程度昔の事だからもしかしたら逸話かもしれない可能性があるので仕方がない。

その名も「ヨセフスの問題」。

『ユダヤ戦記』に記されているこの問題は、ユダヤ戦争時にある町に籠城したユダヤ軍人達40人が負けを認めて自決しようと話し合いで決まったことから始まる。

その中で、この軍人達の司令官ヨセフスは、なんとか生き残りたいと渇望していた。

皆が殺されるか自殺するかという思考停止に陥った時、彼は思考を停めなかったのだ。

ここで、普通の物語なら奇策を思いつき、ヨセフス含めたった41人でローマ軍を撤退させ、ヨタパタの奇跡(ヨタパタは町の名前)等と英雄譚として語り継がれるとなるはずだが、これはそんなお話とはならない。

どうやったら集団自決の中、自分だけ生き残れるかを考えたのだ。

おい、お前司令官じゃねえのかよ、と総ツッコミを入れる場面である。

かくして彼は、協力者として友人の一人と一計を講じる。

その方法は、まず全員で円を作る。

次に起点となる人を決めて、その人から3番目に位置する人を他の人で殺していく。

また、その人から3番目に位置する人を他の人で殺していく。

これを繰り返して最後の人は自殺するというもの。

見事にヨセフスとその友人は16番目と31番目に位置して生き残ったという結末だ。

誰しもが思うであろうが、他の人達はこの提案を何か裏があるんじゃない?と気づかなかったのかということだ。

私個人の意見では、気づかなかったのだろう、と思う。

だって自殺って結構大変よ。

自分で自分を刺せる?

無理でしょ。

でも誰かに刺されるなら、イヤだイヤだと言ったところでおもいっきり他人だから刺してくるからねぇ。

やっぱり止めて、というようなことはないわけだ。

一番覚悟を決めなくてはならない自殺をする人はたった一人で済む、という窮地に陥れば納得してしまうアイデアだったのだろう。

よって「ヨセフスの問題」は、全n人でk人ごとに殺していくとき、どこを起点にすると特定の人を殺さずに済むかという問題となる。

キリスト教徒と異教徒トルコ人の船の難破の話にもこれと同種の問題が描かれている。

キリスト教徒はこの方法で切り抜け全員生き残ったようだ。

トルコ人憐れ!

今だったら、何十人かの団体に景品数個をどうに渡すかといった時に、これを使うと盛り上がるかもしれない。

その時は、起点と何人おきに排除するかを決める人は別々で、しかも事前に紙に書いてからでないと不正が出てしまうからご用心を。


 

数学者・サイエンストランスミッター
平間達也