【リオ五輪・女子レスリング】登坂絵莉が金メダル!終了間際に劇的な逆転 | 神城豊の「あなたが逆境を乗り越え幸せに成功する魔法の法則」

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登坂絵莉が金メダル


登坂絵莉が金メダル


◆登坂絵莉が金メダル!終了間際に劇的な逆転
<リオ五輪:レスリング>◇17日◇女子48キロ級決勝

 世界選手権3連覇の登坂絵莉10+ 件(22=東新住建)がマリア・スタドニク(28=アゼルバイジャン)を破り、初出場の五輪で金メダルを獲得した。日本レスリングチームで今大会の金メダル第1号となった。

 厳しい展開を最後の最後でひっくり返した。相手は15年の世界選手権の決勝で対戦し、終了間際に逆転した難敵だった。第1ピリオド開始1分で場外に押し出されて1失点。第2ピリオドも30秒で消極的姿勢で口頭注意を受け、アクティビティタイムに得点できずさらに1失点。警告も受けた。残り1分を過ぎて1点差としたが、相手は逃げ切りを図る。残り13秒で相手の右足をつかむと、執念で離さず持ち上げる。残り5秒でバックを取り逆転の2ポイント。世界選手権と同じ相手に同じ展開で逆転勝ちした。

 試合後は栄強化本部長を肩車してマットを1周。さらに日の丸を掲げて1周した。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。「良かったです。(勝った瞬間は)いろんな人の顔が浮かびました。感謝です。特に弱いときから信じてくれた家族です」と話した。

 最後の場面は「もうここしかないと思って、これで取れなかったら後悔すると思って力を入れて、最後取りました」と振り返った。今年2月のアジア選手権で3年半ぶりに敗れ、連勝記録が59で止まった。その屈辱を乗り越えての栄冠だった。

 表彰台に上がると両手を挙げて振り喜んだ。メダルをじっくりと見つめた。君が代を口ずさみながら掲げられる日の丸を見つめ涙を流した。最後は明るい笑顔を見せた。「(金メダルは)本当に最高ですね。柔道の田知本(遥)さんに見せてもらっていたので、自分もこれが欲しいな思った。自分の手に入ったんだなと思いました。」とメダルを実感していた。

 スタンドでは両親が応援していた。「『思い切ってやってこい』と言われていたので、絶対に勝って喜ばしてやると思っていた。人生で今のところ一番の親孝行ですね」と笑った。

 女子レスリングで先陣を切る金メダル。「重圧はなかったんですが、自分だけメダルを取れないとか悔しい思いをしてきたので、自分がメダルを取ることでみんなに勢いを付けられると思って取りました。これからみんなを応援します」と、大きな役割を果たした安堵も感じさせる優しい笑顔で話した。(出典:日刊スポーツ)

リオ五輪・談話(レスリング)〔五輪・レスリング〕

◇もうここしかない
 登坂絵莉 最後に足を取りに行ったところは、もうここしかないと思っていた。これで取れなければ後悔すると思い、本当に力を入れた。ずっと弱い時から信じてくれた家族に感謝したい。(出典:時事通信)


◆登坂絵莉
登坂 絵莉
個人情報
フルネーム とうさか えり
国籍 日本の旗 日本
生誕 1993年8月30日(22歳)
富山県高岡市
居住地 愛知県
身長 152 cm (5 ft 0 in)
スポーツ
競技 レスリング
大学チーム 至学館大学
担当コーチ 栄和人
獲得メダル[表示]
登坂 絵莉(とうさか えり、1993年8月30日 - )は、富山県高岡市出身の女子レスリング選手である。階級は48kg級。身長152cm。至学館大学健康科学部健康スポーツ科学科卒業。2016年春からは東新住建へ入社し、女子レスリング部に所属。また、至学館大学の大学院へも進学している。
来歴[編集]
国体のグレコローマンレスリング48kg級で優勝経験のある父の勧めで木津小学校3年の時に高岡ジュニア教室でレスリングを始めた[4]。なお、父親は柔道の田知本愛・田知本遥姉妹の父親と高岡第一高校時代の同級生で、中学時代には柔道で対戦した経験もあった[5]。
南星中学に入学すると、週3回の練習では飽き足らず「毎日練習しないと勝てない」と思い立ったことから、近くにあって毎日練習を行うことで知られる宮原優の父親が運営する「MIYAHARA GYM」に移ることになった。中学3年になると、高岡ジュニア教室も毎日練習を行うことになったため元の所属に戻った。そして全国中学生選手権で優勝を飾った[1]。
至学館高校入学後は全国高校女子選手権を2連覇した。また、3年の時には全日本レスリング選手権大会の2回戦で山本美憂を破るなどして勝ち進むが、決勝で小原日登美に敗れた[1]。
至学館大学に入学すると、ジュニアオリンピックでは1階級上の51kg級で優勝した。レスリングワールドカップでは出場機会はなかったものの優勝メンバーに名を連ねた。全日本選抜レスリング選手権大会でも優勝を飾って世界選手権48kg級代表に選ばれた[1]。
カナダのストラスコナカントリーで開催された2012年レスリング世界選手権では決勝でベラルーシのワネサ・カラジンスカヤと対戦して、お互い1ピリオドずつ取り合って迎えた第3ピリオドにおいて、ポイント2-2から終了直前にカラジンスカヤが登坂を場外に押し出したとして相手に1ポイントが入ったものの、登坂陣営が場外に出ていないとして判定にチャレンジすると(ビデオ判定を要求すること)、それが認められてビッグポイントを取っている登坂の勝利が一旦は宣せられた。しかし、今度はカラジンスカヤ陣営がその裁定にチャンレジすると、カラジンスカヤが登坂を場外に押し出す前に登坂のバックを取っていたと見なされて1ポイントが追加されてカラジンスカヤの勝利ということになり、再び判定が覆されることとなった。本来ならチャレンジ後に出た結果に対する相手のチャレンジは認められず、この試合でジュリー(審判長)を務めたマリオ・サレトニグ自身もそれを認めたものの、「先にチャレンジしたのはカラジンスカヤ陣営だ」などと全く事実に反する弁明をして、登坂陣営の抗議を受け付けようとはしなかったという[6][7]。
2013年6月の全日本選抜レスリング選手権大会で優勝して、前年に続き世界選手権代表に選ばれた。7月のユニバーシアードでも優勝を飾った[8]。
2013年9月の2013年レスリング世界選手権では順調に勝ち上がり、決勝ではベネズエラのマエリス・カリパにテクニカル・フォール勝ちを収めて前回大会にて誤審で2位に終わった雪辱を果たして初の世界女王に輝いた[9]。
2014年にはワールドカップで優勝すると、全日本選抜でも決勝で51kg級から階級を落としてきた同郷の宮原を破って3連覇を達成して、世界選手権代表に選ばれた[10]。世界選手権では決勝でポーランドのイウォナニナ・マトコフスカに10-2の大差を付けて勝利を収めて、世界選手権2連覇を達成した[11]。続くアジア大会では決勝で2013年の51kg級世界チャンピオンである中国の孫亜楠を5-1で破って優勝した[12]。12月の全日本レスリング選手権大会では3連覇を成し遂げた。
2015年6月の全日本選抜では4連覇を達成して、世界選手権代表に選ばれた[13]。9月の世界選手権では決勝でロンドンオリンピック銀メダリストであるアゼルバイジャンのマリヤ・スタドニクと対戦した。消極的であるとしてアクティビティタイム(AT)の警告で2ポイントを先取されるが、終了10秒前にビッグポイントとなる片足タックルで同点に追いついた。同点の場合はビッグポイントを取った方が勝者となるため、スタドニク側は登坂のポイントは場外に押し出した1ポイントではないかと判定に異議を唱えるチャレンジ権を行使するも、認められなかったことでポイントは3-2となり、登坂が世界選手権3連覇を達成した。今回優勝したことで12月に行われる全日本選手権に出場さえすれば、規定によりリオデジャネイロオリンピック代表に内定することになった[14][15][16]。力の強い外国選手対策として12月の全日本選手権では1階級上の53kg級に出場すると、決勝では九州共立大学3年の入江ななみと接戦になりながらも競い勝って、オリンピック代表を決めた[17]。
2016年2月のアジア選手権では準決勝で孫亜楠に4-5で敗れて3位に終わり、2012年の世界選手権以来3年半ぶりの敗戦を喫することになった。また、連勝記録も59で止まった[18]。
6月には富山県庁を訪れて、「何が何でも金メダルを取りたい」とオリンピックに向けた決意を語った[19]。
UWW世界ランキングは3位(2016年7月現在)。
人物[編集]
執念深い性格をしており、嫌なことを言われたり、されたりしたら決して忘れない。心に秘め続けて、何年かかろうとも見返す時を待ちわびている[20]。
チョコレートを大好物としているが、減量の時にはやむなく我慢する。また、試合の前夜には“勝ちメシ”として、必ずカップ麺のどん兵衛きつねうどんを食べることにしている[20][21]。
ロックバンドのThe pillowsのファンで、中でもFunny Bunnyという曲を最も気に入っており、「勝ち曲」としている[22]。
同じ女子レスリング選手の栄希和、菅原ひかり、K-1で活躍しているキックボクサーの野杁正明とは至学館高校時代の同級生。栄と菅原とは大学も同じである。三人とも『練習の虫』とまで評される登坂の豊富な練習量と集中力に敬意を抱いており、栄は「絵莉についていけば、自分も強くなる。そう自分に言い聞かせて一生懸命練習しました」と語っている[23]。ゴング格闘技2016年6月号では野杁との対談も実現している。高校1年生だった2009年の大晦日に地上波放送されたDynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜でのK-1甲子園で優勝するなど先に実績を残した野杁の存在は刺激になったとのこと。
主な戦績[編集]
2008年 - 全国中学生レスリング選手権大会 優勝
2010年 - 2012年 ジュニアクイーンズカップ 2位
2010年 - 2011年 全国高校女子選手権 2連覇
2011年 - アジアジュニアレスリング選手権大会 優勝
2011年 - 全日本レスリング選手権大会 2位
2012年 - アジア選手権 3位
2012年 - ジュニアオリンピック 優勝(51kg級)
2012年 - レスリングワールドカップ 優勝
2012年 - 全日本選抜レスリング選手権大会 優勝
2012年 - 全日本学生レスリング選手権大会 3位
2012年 - 2012年レスリング世界選手権 2位
2012年 - 全日本レスリング選手権大会 優勝
2013年 - 全日本選抜レスリング選手権大会 優勝
2013年 - ユニバーシアード 優勝
2013年 - 2013年レスリング世界選手権 優勝
2013年 - 全日本レスリング選手権大会 優勝
2014年 - ワールドカップ 優勝
2014年 - 全日本選抜 優勝
2014年 - 世界選手権 優勝
2014年 - アジア大会 優勝
2014年 - 全日本レスリング選手権大会 優勝
2015年 - 全日本選抜 優勝
2015年 - 世界選手権 優勝
2015年 - 全日本レスリング選手権大会 優勝
2016年 - アジア選手権 3位
(出典:Wekipedia)




登坂絵莉が金メダル