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ショックでした。
「単なる肉の塊(カタマリ)に過ぎないのよ!」
「朝起きて、ご飯食べて、またゴロ寝して、トイレで
排泄して、また昼飯食べて、またごろんと寝転がって
ボ~~とTVを一日中、寝転がって見ているだけの
肉の塊よ、私にとって!!
◆これは、80歳を過ぎた神城の、実の母親が、
90歳過ぎの、軽い痴呆症の入った父親に
対する発言です。
続けて、
「どれだけ、食事の世話や、トイレ、お風呂の世話が
大変で、精神的な苦痛を伴ってるか、あなたに分かるの?
代わりに、一日でも、やってみなさいよ!」
とも・・・
こんな会話になってしまうまでには、
それ相応のストーリーがあります。
◆一言で言えば、
介護に疲れた自分も要介護の年老いた母親が
要介護レベルの高い父親の介護をするのに
ほとほと、疲れ果てた、、その挙句の本音のコメントです。
いわゆる「老老介護」成れの果て
・・ってやつですね。。
◆私も、実の両親ですし、散々迷惑かけて、ここまで育てて
くれた計り知れない恩がありますから、自分の出来うる限り
のことは、しているつもりですし、これからもしていくつもりです。
また、自分自身の体調や、精神的なダメージを気にかけながら
痴呆症もどきの父親の世話に疲れ果てている
母の心境も、理解は出来ます。
ただ、60年以上も連れ添った旦那に対して
「ただの肉のカタマリ・・・」
と言わせてしまうことの残酷さといいますか
切なさを感ぜざる負えません。
僕は、この「肉の塊」の語感から
中国の「人豚」の処刑話を、
ふと思い出しゾッとしました。
オヤジは、まだ意識もあるし、一人の人間としての
尊厳も、人格もある・・・
それを、肉のカタマリ・・と言われてしまう、この切なさは何なんでしょうか・・・
かと言って、母を責める気にもなりませんし、
仕方がないのかもしれません。
少しでも、両方が、平穏な気持ちで、余生を過ごせる
ように、最大限のことをしていくしか仕方ありません。
◆我が身をひるがえり、
「俺が、長生きして、痴呆症にでもなった挙句は
一体どうなるんだろうな~~」
俺も、最晩年に・・・
「肉のカタマリ」
って、誰かに言われちゃうんだろうか・・・
なんて、考えてしまいましたが、
そこは、超楽観主義なんで
「まあ、なるようにしかならないか・・・
今から、健康に気をつけて、お金も貯めて
親孝行をはじめ、他人様のお役に立てることを
少しでも沢山やっていくこと、、くらいしか
今の俺には思いつかんし、それで行こっと!」
で、前向き、ポジティブに考え直しました。
むしろ、人生の最後を、どんな形で迎えるかは
全く分からないからこそ
「今という瞬間を、存分に楽しみ、
夢と、価値ある目標に向けて、やれるだけのことを
やりきっておくことが、人生で、一番肝心なこと」
だと、心の底から感じます。
★今日の名言
「柩を閉じた後で、その人の真の価値が分かる」
★誰でも、死を迎える。
どんな最後かは、誰にも分からない。
だからこそ「今の一瞬を最高に輝かせよう!
♪♪【成功幸せ運搬人】の神城豊でした♪♪
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