ひとまず、昨日を忘れ明日を棚上げにして、今日を見つめてみましょう。
「今日」という日が、連続し続けていることを「毎日」と考えてみましょう。
人とは、不安や苦痛や恐怖をかかえて生きているものです。
しかし、一日ずつを区切って生きていくことで、その抱える
不安や苦痛や恐怖の大半が、自らが作り出している幻想だと気がつくのです。
もっとも、今、抱える問題はあるのですが、それを「今の出来る限り」で対処することが、何より先決なのです。
確実に明日起こりうる回避できない悲劇があると今分かっていたとしても、それは今のことではありません。
もし、その時の気分や状況を思い浮かべるのであれば、それは今、起こっている現実ではなく、あなたの空想の体験にしか過ぎないのです。
どれほど過去の出来事を悔いようとも、どれほど過酷な未来に恐怖しようとも、それだけでは、何をも変えることは出来ない・・・ということです。
つまり、人は「今、現実に目の当たりにした出来事に最善をつくすこと」以外、実際には、何もできないのと同じなのです。
当然、今日の連続の中に、「やったことに対する事実」は存在します。
ただ、過去の何かに後悔するのも無意味なのです。
「ああすれば良かった」と、しなかった事に想いをめぐらせても、どうにもなりません。
「今、それをやる」ということはできますが。
「ああやってみたら失敗した」というのは、行動した結果が
あなたの希望するものではなかったということです。
単純に「失敗する方法が分かった」あるいは「成功しない方法がわかった」という知識が増えたにすぎないのです。
これは、「今やれることに役立てるべき知識」を手にしているだけです。
つまり、やらなかったことは起こりえなかった幻であり、
体験してもいない、体験しようの無いただの空想にすぎません。
「あのとき」の後悔は存在しないのと同じです。
もしできることがあるのなら、それは、今、反省することでしょう。
「これから」「そのうち」の出来事は、今の現実ではありません。
今に行うことの結果を手にする日がどこかに存在するだけです。
今日一日。現実はそれ以上でもそれ以下でもないのです。
今やるか、やらないか。人生はその連続でしかありません。