先月、元気だった母が、予防のため入院、手術を行いました。

手術は成功と、病院側は言っていますが、母は、記憶障害になりました。


どうなんでしょう?

同意書を書いてもらってるので・・・と医者は言っていますが、

息子としては納得できない気持ちです。怒りすら感じてます。


自分自身も、大変なこの時期に、

かなり大変な事態となり、試練にしてはかなり過酷です。


母の記憶障害が、かなりひどいのですが、

本人に自覚がなく、自分はしっかりしているのに、

周りがわかってくれない・・・と被害妄想ばかり言っております。


どうすれば理解できるのか?を考えたとき、

仕事やプライベートの予定を忘れないようにするために、

日ごろ行っていることを、母にやってもらおうと考えました。


「メモを取る」(記録)です。


とはいえ、記憶障害ですので、

手帳があることすら忘れてします可能性があります。


ホームセンターで売ってる大学ノートで、

一日を記録してもらおうと考えました。


お見舞に来てくれた人には、ノートに記帳してもらい、

母の記憶の補助をやってもらおうかと考えてます。

(絶対に来るはずの無い人がお見舞いに来たとか言ってますので)


このようなことを考えてみると、

案外、自分の生活の中で、「記録を取る」ことに関して、

頭では理解していても、重要性をあまり感じていなかったように思えます。


対外的なことは良く記録(予定・仕事の締め切りなど)はするのですが、

自分を記録することは行っていなかったと今更ながら感じました。

日記とはちょっと違います。もっと雑な感じです。


「自分の記録」をやってみようかと。
















5社のアフィリエイトを登録する。

すでに4社は登録済みなため、1社のみで良かった。

自分の棚卸を行い、思う。自分は、濁った水槽の中の魚。


自分の水槽には、毎日のように、甘い情報、辛い情報、すっぱい情報など、

毎日毎日注ぎ込まれる。


「こちらからはこんなにも甘い情報が・・・」

「こちらからは甘辛い情報が・・・」

「あちらからは良い香りする情報が・・・」


一驚一旦して、自分の水槽にどんどん注ぎ込まれることに、

安堵感すら覚え、毎日毎日を過ごす。


ふと気づく。


どんな情報も、水槽のように貯めるだけだと、

濁ってしまい、もう飲むことも出来ないことに。


少しずつ少しずつ、


溜まった水が、もうもとの色が、何色かさえわからない水が、

からだを蝕み、犯していく。


水槽の栓を抜かなければならないのだが、なかなかできない。


最近、からだが動かなくなっていることに気づく。


なんとか水槽の栓を抜く。汚い水が流れていく。


こんな濁った水槽に、何十年も漬かっていたのかと・・・。


残ったのは、莫大な情報への対価(借金)。


今、水槽を掃除している。


情報の蛇口も閉じ、とにかく水槽の中を掃除している。


蛇口も全部撤去したいのだが、なかなかね。未練が。


蛇口の撤去には、もう少し時間が掛かるようで。